蒸溜所訪問

ローズバンクの 復活

『ローランド地方の王さま』が来年末までに 蘇生軌道に乗る。 トム・ブルース=ガーダインはローズバンクを ここまで特殊にしているもの、崇拝されてきた 蒸溜所の再建で、何を期待しているのか について説明する。

廃墟となったローズバンクの写真: Peter Sandground

著名なウイスキー作家は自らを『もう一人のマイケル・ジャクソン』と名乗るのを好み、「もし神がいるのなら、ローズバンクのウイスキーはまた生産されるだろう」と語る。

1世紀半の間ずっと製造をしてきた、ファルカークにあるローズバンク蒸溜所は1993年に閉鎖された。オーナーであるUDV(現在はディアジオ)が自ら公式に苔にまみれていると表現した敷地は、2002年に英国水路局に売り渡され、その5年後にマイケル・ジャクソンがこの世を去った。

ハイランドの人里離れた地域であったローズバンクは、何十年にもわたって霊魂の住む場所を想起できるような地方であったものの、家の立ち並ぶ中央帯となるべき再開発は常に可能だと考えられてきた。ファルカークはかつてアイトケン醸造所跡が、大型スーパー「アスダ」の敷地に眠っていることで知られていた。 月日が流れ、町がバンクシーによる壁へのペイント・アートに対応している間に、ビルや屋根の隙間から雑草が伸び始めた。2008年のクリスマスに泥棒が押し入り、持ち去るまでは、内部にあちこちにグアノのついた8つのウオッシュバック、3つの蒸溜用の器械があった。これでローズバンクは間違いなく永眠の時を迎えたのか?

Most people thought it had gone past the point of no return, and that the building was condemned … I think we were the last chance because the building was going to fall down

土壇場の救済

ところが、滅亡の11時間前に、現在のスコティッシュ・カナルズから敷地を買い取ったイアン・マックロード・ディスティラーズ(IMD)に救われた、おまけに2017年後半のディアジオからのストックもキープしたまま、商標も獲得した。 その1年前の寒く天気の悪い日に、マックロード・ディスティラーズのレオナード・ラッセルとその息子は、「ファルカークを車で走行していたら、蒸溜所がとても悲しげに見えた」と記憶している。「『売り地の看板がある』と息子が言いました。その看板を探していると、多くの人がもうそれは過去のことで、建物も廃棄されていたと思っていたことがわかりました。」

SAVED: Iain MacLeod DistillersのMDであるLeonard Russell氏は、Rosebankはすでに非難されていると考えていた。

レオナードが発見したのは、ディアジオが25年前にその敷地での蒸溜作業の禁止は、2018年で終了する事実だった。こうして取引は締結し、ローズバンクには新しいオーナーが誕生した。「建物が崩壊しつつあったので、おそらく自分たちが最後のチャンスだったと思います。」と彼は語る。マイケル・レード建築事務所が指名を受けて温故知新を結集させた建築を任された。以前麦芽を取り扱ったヴィクトリア様式のレンガ造りの建物は、近代的なガラス張りの蒸溜器の隣に残され、何世代にもわたるファルカークのランドマークである古いローズバンクの煙突がそびえ立つ。 「比較データから交換可能である伝統的な道具一式全て残そうとしましたが、蒸溜所の見学が可能になるように内部のレイアウトは変更することになりました。」とレオナードは言う。『道具一式』、それがどう使用されていたか、異なる製造工程で特殊なシングルモルトをどう製造するのか。ローランドの伝統による3回蒸溜は、特別な銅との接触で澄んで、新鮮なまろやかさを求めるが、古風なワームのなかで最終的には凝縮される。 「3回蒸留で軽めのスピリットの特性を与え、その一方でワーム・タブは重厚さを与えますから、みなさんはなぜ過去のオーナーたちは一つを始めておいて、最後にそれを覆すことをするのかと思われます。」と語るのはIMD グループの蒸溜マネージャーであるロビー・ヒューズ。「これは昔からある方法で、私たちは継承していきます。」これはローズバンクだけの工程ではありません。この方法によりローランド・モルトは、ブレンデッド・スコッチの世界における、ひ弱な人ではないという謎を解き明かせることでしょう。

Rosebank’s stills are due to come back to life in 2022

敗北のビューティ・コンテスト

マイケル・ジャクソンにとってローズバンクは「ローランド地方の王さま」であり、その崩御は「嘆かわしい喪失」でもある。他の人たちも同じように感じており、そこで質問が持ち上がる。なぜ閉鎖しようなどと考えたのか、とDCLは1970年代に 、シングルモルトの貯蔵に十分な自信を持っていた。1982年、DCLはアスコットモルト・セラーに8年熟成のローズバンク、リンクウッド、タリスカー、ラガヴーリンが加わる。このセラーは遅参かつ中途半端にシングルモルトの時流に参入した。 5年後、現在のUDV はクラシックモルトでより真剣な企画を立ち上げ、ウイスキーの地域をメインストリームに参入させるコンセプトを得た。ローランド地方の1つに硬い台座への空きがあり、当初、ローズバンクは正統な参入者とされた。しかしかがら、本社からのスーツ族が北部に派遣されて選出を決定すると仮定しよう。この人はファルカークとそのフォース&クライド運河(1960年代に閉鎖)岸にある蒸溜所に行く前に、起伏のあるイースト・ロチアン農場に囲まれた造園した庭園のあるグレンキンチーを訪れたとされている。

その後に、静かな水面やスーパーの手押しカートがはみ出しているローズバンクの近郊を素直に見つめながら、スーツの人物は頭を振ったことだろう。美的感覚で言えば、そこに競争はなかった。そして溢れるほどのウイスキーがあっても、ローズバンクは毎日の仕事であるブレンド用のモルトを生成する仕事に戻った。 小さくて手狭ながら、汚水プラントの2百万ポンドの差し迫った請求書があったために、惜しくも1993年の6月のある日、15が解雇され、閉鎖されたのだ。「大きなミス」とレオナード・ラッセルは言う。「小さくてもローズバンクは最も高価なウイスキーを生産するメーカーの一つだったから、蒸溜所を閉める理由はなかったと思う。」

完璧な場所、復元済み

1880年代にアルフレッド・バーナードが蒸溜所巡り中にローズバンクを訪れた時、運河はまだ息づいていた。「船や蒸気船が常に行ったり来たりしていた」と彼は記述している。近くの一時ヨーロッパ最大であったキャロン製鉄所とともに、運河はファルカークをスコットランドの産業革命の中心地と位置づけていた。グラスゴーやエジンバラへの足回りを良くしたいと言う渇望を背景に、蒸溜所としては理想的な場所であるとして, 1840 年に公式に創設された。

運河は現在、川床をさらってその使用が復活し、ファルカーク・ウイール会社を所有する。そのつがいの大きな馬の頭の彫刻は『ケルパイズ』として知られている。新ローズバンクはその間にあり、町に観光客を連れてくる。来年末に蒸溜釜に火が入る頃、「『ハッピーバースデー』は歌いませんが、3年経ってボトル詰めにする頃には歌いましょう。」とレオナードは言う。しかしその間ローズバンクの煙はマイケル・ジャクソンを喜ばせるために楽園まで登っていくとこでしょう。もし神がいるとすればですがね。

The Kelpies – mythical horse-like creatures in Scottish folklore – are sculptures by Andy Scott that are part of Helix Park near Falkirk