ドラムスポッティング

アーバイン・ウェルシュ、The Vaultsにて

作家アーバイン・ウェルシュの画期的な小説であった1993年『トレインスポッティング(Trainspotting)』は、リースのヘロイン中毒者たちを中心に描かれていますが、最近の彼の作品ではウイスキーがプロットポイントになることが多くなっています。そして、ここでは、ソサエティのメンバーであり、『Unfiltered』 の編集者リチャード・ゴスランとザ・ヴォルツで数杯飲みながら、彼のウイスキーの旅と、ロバート・バーンズの作品が精神に及ぼす影響、そしてなぜ常にスコットランドとリースが彼の小説の中でエキゾチックな場所として描かれているのかを語ってもらうに対談をしました。

写真:ピーター・サンドグラウンド(PETER SANDGROUND)

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作家アーバイン・ウェルシュの写真は、2020年12月にリースの The Vaultsで、「バナナ・フラット(Banana Flats)」の名で知られるケーブル・ウィンド・ハウス(Cables Wynd House)を背景にして撮影されています。

ザ・ヴォルツはアーバイン・ウェルシュとウイスキーについてゆっくり語り合うには最適な場所のように思われます。リースで生まれた彼は、4歳までこの地に滞在し、家族はピルトンのプレハブ、そしてエディンバラ周辺のミュアハウスにあるアパートに引っ越しました。ロンドンにしばらく滞在した後にリースに戻り、『トレインスポッティング』を執筆して、その舞台を文学界の世界地図に印しました。

今日、ザ・ヴォルツの入り口からは、「バナナ・フラット」の名で有名なケーブル・ウィンド・ハウスの野蛮主義の大規模な建物を直接見ることができます。トレインスポッティングの登場人物シックボーイことサイモン・ウィリアムソン(Simon ‘Sick Boy’ Williamson)はそこで生まれ育ちました。ここでは、思わずアーバイン自身と建築物を比べてしまいます。二人とも初期の頃はそれぞれが建築界や文学界から軽蔑されていたようなところがありましたが、時が経つにつれ、軽蔑どころか称賛されていくようになりました。今では「バナナ・フラット」は、スコットランド歴史環境協会によりAクラス指定建造物に登録され、取り壊しの可能性から保護されています。一方、エディンバラの歓迎されない成り上がりの文学者だったアーバインは、 市長から「この街の象徴的な歴史家」と称賛されるようになり、彼自身もAクラスに名を連ねるようになりました。

想像力をみなぎらせ

その日、私たちは、 ザ・ヴォルツのメンバールームの暖炉のそばで、数本のウイスキーを酌み交わしながら、会話を楽しみました。彼自身が言うには、アーバインがウイスキーに出会ったのは、人生の中で比較的遅い時期だったそうです。私たちはライトでデリケートなフレーバーを特徴とするカスク No.113.15 の『アプリコットジャンボリー(An apricot jamboree )』 の一杯からスタートしました。それは味覚を目覚めさせ、想像力をみなぎらせるようなもので、アーバインには即座に気に入りました。

“「飲みすぎてしまいそうだ。本当に飲みやすい。」と彼は言いました。私は全くウイスキー好きではありませんでした。『マーマレード 』という雑誌でワインコラムを書いていたこともありますが、それは「知らないことについて書いてもらう」という発想の企画での執筆でした。そして、私はワインが本当に好きになりました。しかし、ウイスキーというものはそれなりの年齢に達すると、またついはまってしまうものなのです。若いころは、年寄りの男が飲む物だと思っていました。実際、皆が40歳を過ぎる頃に一斉に至るところで一杯やり始めるのです。

「ある友人がザ・スコッチモルトウイスキー・ソサエティに入会したので、[ザ・ヴォルツへ] 何度か連れて行ってもらったことがあるよ。でも、私は他の人のアドバイスに頼りきっている人のうちの1人だった。私は旅をすることが多く、行く先々で美味しい料理や美味しいワイン、地元のお酒を試飲する機会がよくあるので、こういったことには他人の任せることが多いんだ。」

バーンズナイトを目前に控え、話題は国民的な飲み物から国民的詩人へと移り、スコットランドの名を世界に広めていく上での彼らには対等な役割があるという話になりました。 「ウイスキーは 私たちの文化の広い部分を占めていて、その歴史は遥か昔にさかのぼる。」 とアーバインは言います。「バーンズは世界的な詩人であり、彼の作品の多くにウイスキーが表現されている。そこで、ウイスキーはただそこにあるだけのものであり、遍在的な存在でもある。私はそれまで、あらゆるレベルでウイスキーに深く関わったことはなかったので、人々がどれほどそれを崇拝しているのかを知ることは非常に興味深いことだった。それはスコットランドにおいて決定的に重要なことだった。」

「しかし、 その背景も大きく変わってきている。バーンズが「ウイスキーと自由はともに歩む!!(Freedom and Whisky gang thegither)」と言ったように、ウイスキーのロマンティック化が進んでいるんだ。そして、[ヒュー(Hugh)] マクダーミッド(MacDiarmid)の『酔人、あざみを見る』もあり、そこにはアルコール依存症の恐るべき奈落の底が見られる。それは、万華鏡のように目まぐるしく変化して、スコットランド文化の複雑さ、ポジティブな部分もネガティブな部分もすべて表現しているんだと思う。そんな意味でもまっとうな国民的なお酒なんだと思う。」

“ある友人がザ・スコッチモルトウイスキー・ソサエティに入会したので、[ザ・ヴォルツへ] 何度か連れて行ってもらったことがあるよ。
でも、私は他の人のアドバイスに頼りきっている人のうちの1人だった”
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酔うのは現地で

ふと、完全に違うものが欲しくなりました。オロロソ・シェリー熟成ウイスキーのカスクNo.68.52 の『チョコケーキによる死』 を一杯飲むということです。ウイスキーとは、私たち皆をアロマや風味によってどこかへトリップさせてしまうものですが、この時、アーバインは不意にジャマイカに連れ去られてしまいました。

「それは、誰かが私の目の前に置いて、これはウイスキーだと言っても、私には全然信じられないようなものだ。」と彼は言います。「これはある種のラム酒だと思うよ、キングストンで飲んでいたラム酒を思い出させるし、食後酒としても飲まれているし。すごくおもしろいお酒だ!」

アーバインは小説の中でもウイスキーに視点を向けており、特に2015年の小説『A Decent Ride』では、ごく稀なボトリングのトリオについて追求しています。

「主人公は、ドナルド・トランプのようなアメリカ人ビジネスマンで、 スコットランドを象徴するものに関して、いかにもアメリカ人のお金持ちが持ちそうな概念を持っているんだ。それはゴルフとウイスキーで、ゴルフをプレイしたいからウイスキーに興味を持って、これらのボトルをコレクションしたいと思うようになったようなもんなんだ。彼は特別にウイスキーを好きというわけではないんだ。手に入れたいということに執着してしまって、彼らは実際の価値がわかっていないというところがおもしろいと思った。それは単にパブの中でちょっと変わった飲み物として目を引き、他のひどいものを混ぜてカクテルにされることもあれば、あるいは単に飾りとして置いてあるだけだった。結局のところ、それは投資ではなくて、酔っぱらうのが目的でそこに置かれていたんだ。」

ストーリーテリングの伝統

ソサイエティのものはすべてそうですが、目の前のウイスキーもとても飲みやすいです。次に飲むのは、トレインスポッティングよりもさらに古いボトリングであるカスクNo.46.95 の『ブルーピーターの庭でトリップ(Tripping in the Blue Peter garden)』 で、1992年11月に蒸留された27年熟成のスペイサイドモルトです。

「おお、なんて素晴らしいんだ。物事の描写表現がどんどん出てくるのが面白いね。」と言うアーバインは、その名前とウイスキーの味の感覚の両方を称賛しています。「口に含むと燃えるようだ。そして、ずっと燃え続けるように感じられる。でも、蒸発してしまう。そして、後に味が残る。とても滑らかだ。」

このような成熟したウイスキーを飲むと、アーバインの母親がウイスキーの仕事をしていたリースに帰ったような気持ちになって、昔を振り返ることができます。それは今日、彼にとって何よりの再出発の場となっているが、今でも人とのつながりや思い出で溢れているそうです。

「リースには多様性があり、海岸やリース・ウォーク、セントラルなどでもそれ感じ取ることができる。興味深い地域だ。私が子供だった頃、父はよくHaresに連れていってくれたのだが、そこは、リースセントラル駅の上に位置する昔ながらの『North British Hotel』のようなところだった。黒いフリルのついた白帽子をかぶったウェイトレスがコース料理の3品を出してくれるよ。それはいかにもオールドスクールでありながら質の高いもので、そのうえその地域の昔ながらの商売繁盛の雰囲気が感じられるんだ。」

それは彼が執筆する際にはいつも訪れている、物語の中での故郷なのです。 「いつも同じ場所で育った人々はよく、『つまらない。外へ出たい。』と思っている。そして、旅行をして、異なった場所を訪れると、自分の故郷が実はエキゾチックであることに気付くんだ。人々は皆、いい意味で、奇妙であり、クレイジーだ。このことに関しては、それぞれが全く違った意見を持っている。自分の故郷が世界で最も退屈な場所だと思いながら育っても、その後あらゆる比較をし始めた頃から、意外にもそこが世界の中でもエキゾチックな場所であったことに気付いていく。」

「そのように、人々は必然的にストーリーテラーであるので、私はここに彼らについて書きたいという気持ちになるよ。リースのパブに立ち寄って、誰かの横に座れば、小説を書くのに十分な素材を持ち帰ることができるんだからね。人々は常にストーリーを語ってくれる。」

火傷とポルノとドラッグ

アーバインは現在、ロバート・バーンズの生涯をめぐる物語の再検討を目的とした脚本を執筆中で、バーンズは才能ある「農民詩人」であったという先入観に対抗するように、彼の伝記としてこれまで取り上げられたり公表されていなかった側面を掘り下げているのだそうです。

「バーンズの伝記には、大衆文化に取り入れられていない豊かな素材がたくさんあるんだ。」と彼は言います。  「彼に関する興味深い点の一つは、10人の子供のうちの長男であり、母親と父親と兄弟と一つの部屋に住んでいて、両親は子供たちをいつも叩き出していたというようなことを経験しているために、今から思えば性的に不適切に成長してしまったと言えるようなところなんだ。」

「そして彼は青年として世の中へ出て行くが、そこはもしそうすれば撃たれてしまうので、農家の娘とは接触できないような世界だった。そして彼の仲間たちにとっても同じだった。彼らには、フリーメイソンのような飲み会があった。彼の初期の詩は非常に性的な性質を持っていて 基本的には若い男性のためのポルノクラブのようなものだった。大抵はみんな最初はポルノ作家として始めて、結果的に詩人になって、詩が大好きになっていた。詩とはほとんどリアリティTVのようなものだった。それは有名になるための一つの方法でもあったんだ。それは、有名になりたい、その環境から抜け出したいと思っていた彼にとっても同じだった。」

「もう一つ興味深いことは、彼がアーバインの港に行った時に、ある種の不調と衰弱を感じたということだ。  私は、彼が風俗嬢との関わりが原因で、性病か何かが少しづつ進行しているのだと思っていた。しかし、どうやら彼が亡くなった時に行われたDNAの遡及検査では、性病が全くなかったことが立証されたらしいんだ。しかし、興味深いことに、ロバート・クロフォードの伝記[The Bard] には、彼は病気を治すために「ペルーの樹皮」を飲んだということが書かれている。船から出てきたものには [幻覚剤] DMTもあり、それは飲んだ人を別の現実へ連れていってしまうような、人間の歴史の中でも最も強力と言われる麻薬だった。バーンズの詩に現れる幻想の多くは、『タム・オー・シャンター(Tam O’Shanter)』の中でウイスキーのひどいDT(禁断症状)に引き起こされる幻覚のようなお酒によるものではなく、薬物によって引き起こされたものだと考えることができる。これらすべてはバーンズにより別のものへ広がっていくと私は思っている。」

スコットランドから世界へ向けて

ここまで来て、私たちもソサイエティの様々なフレーバーのなかでもよりピートの効いたカスク No. 53.323チェシャー猫(Cheshire cat)の一杯をアイラ島の海岸線を味わいながら挑む準備が整いました。アーバインがこの一杯の香りを嗅いで味わいながら次のように言ったため、私たちは一気にスペインやジャマイカの雰囲気からスコットランドへと舞い戻ました。「ただの土じゃないの?」

私たちはそれらをガブガブ飲み、ザ・ヴォルツをピートの香りで満たしながら、バーンズの話題に戻っていき、彼がどのようにアーバイン作品に影響したかを話し始めました。

「私のような人に強い影響力を持った人やものについて考えてみると、バーンズは最も大きな影響を与え得る人物の一人であり、あらゆる側面でスコットランド文化に浸透しているので、それを避けるのは難しい。彼は人々の自分自身の表現の仕方に影響を与えた。そして、そこには普通教育にみられるノックスの伝統もある。私が執筆を始めた頃、スコットランドの作家は皆、西部のアラスデール・グレイ、ジェームズ・ケルマン、ジャニス・ギャロウェイから、バリー・グラハム、ケビン・ウィリアムソン、ダンカン・マクレーンのような人まで、カウンシル・スキーム出身だった。それに対して、私が英国で知った小説家たちは皆オックスブリッジ出身だった。」

「ノックスの民主主義の伝統は 文化の中で続いていると思う。だから、そうだね、影響はあると思うけど、何かを構成しているという点、つまり言語的な構成という意味では、私はそれを意識していない。実際に何かを書くというプロセスに夢中になりすぎて、書いている最中に自分の影響が何なのかなどは考えていないから。」

バーンズや彼のスコットランド語の使用と同様に、アーバインの妥協を許さないエディンバラ方言もまた、あるいはエディンバラ語でさえも、読者(特にスコットランド以外の国の)にとっては挑戦的なものになります。彼は、より多くの読者にアピールできるように、言葉の使い方を妥協しなければならないというプレッシャーはあったのでしょうか?

「そういうことはあまり気にしていなかった。」と彼は言います。「初作のトレインスポッティングが出版されたときは、エディンバラの一部の人には売れるだろうと思っていたし、彼らはこの本を気に入って、売上を押してくれるだろうとも思っていた。そして、ロンドンの目利きたちがかなり気に入ってくれて、そのときは『彼らはヤク中毒だから喜ぶだろう』なんて思ったんだ。そんな風にして、どんどん有名になっていった。この本は刑務所などにも配給されて、そこでもみんなが好きになった。劇場版は人々を惹きつけて全国に広がり、映画は国際的にまでなった。そのようにどんどん広まっていったんだ。でも、私は大きな野望を抱くようなことは全くなかった。自分は基本的に他の仕事をしながら、機会のあるときに本を書くような人になるだろうと思っていたから。まさか自分がプロのフルタイムの作家になるとは思っていなかった。国際的に知られるなんて無理だと思っていた。 「興味深かったことは、イギリス、南アフリカ、アメリカ、カナダ、オーストラリアなどでも人々は楽しんで読んでくれたのですが、彼らは挑戦的な作品だと感じつつ、それを気に入ってくれたことということです。彼らは30ページ目に達するときが大好きで、スコットランド訛りで怒鳴り合ったり、「ラッジ」とか「ガッジ」とか、そんな感じの呼び方をしている声が読者の頭の中に響くらしいんだ。彼らはそんな挑戦を受けるのをとても気に入ってくれた。」

ここでまたバーンズとの比較が頭に浮かびます。世界中の人々がホグマニーに集まって『蛍の光』を歌うのですが、おそらく彼らは歌詞が何を意味するのかはわかっていません。意味を理解することは重要なのでしょうか? 「そのようなときに大切なのは連帯感を感じることなんだ。」とアーバインは言います。「彼は世界の統一国歌を書いたんだ。スコットランド人にしては奇妙なことだ。こんな小さな場所からそんなことができるなんて。」 その同じ小さな場所で世界で最も人気のあるスピリッツが造られました。そんな話をしながら、私たちは53.323チェシャー猫(Cheshire cat)を飲み干して、リースの街へ戻りました。

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