蒸溜所案内

ミルは順調

セント・アンドリューズのエデンミルは、ウイスキー製造に関しては始めたり停止したりを繰り返していたが、新しい所有者、新しい蒸溜所を得て、シングルモルトが再び舞台の主人公になろうとしている。トム・ブルース-ガーディンの記事をお送りする。

写真 ポール・ミラー

エデンミルの共同創業者でマーケティング・ディレクターのポール・ミラーには謙遜の名セリフがある。 今年初めに、会社の出資金の大半を非公開の金額でインバーリースLLP(有限責任事業組合)に売るに当たり、彼はこう語っているのだ。「自分の無能のレベルを知ることが人生を生きるコツですよ」 こうした言葉がイーロン・マスクの口からこぼれる姿はなぜか想像しがたい。

だがポールは謙虚であり続ける。彼とそのチームがエデンミルをここまで育てあげたのは充分に立派なことなのに。ファイフ州を拠点とする醸造所兼蒸溜所が最初にビールを販売したのは2012年7月のことだ。2年後には蒸溜酒販売にまで展開し、最初はジンを大々的に販売して、その後ようやく最初のシングルモルトウイスキーを売り出すに至った。. その過程でエデンミルは、英国のEU離脱、パンデミック、地主であるセント・アンドリューズ大学の厄介な審議をくぐり抜け生き残ってきた。

今まで、エデンミルはセント・アンドリューズの4マイル西にあるエデン川の河口近辺で放浪してきた。 かつてはヘイグ一族が無秩序に展開してきたセギー蒸溜所を拠点としてきたが、今は大学のエデンキャンパスに蒸溜所がある。 定住の地への移動が差し迫っている件について長期の話し合いが持たれた末、ポールの忍耐がようやく報われたのだ。

「新しい蒸溜所のオープンまであと1年です」と彼は言う。 「ですが外観は8月までに出来上がる予定です」 「次の段階には2つの要素があります。

間仕切りのないスタイルで3階分を使ったビジターセンターでは、蒸溜所のツアーと自分だけのジンや、独自のブレンドのウイスキーを作る体験を提供します」 招き入れた人々に、観覧し、参加してもらって、バーで一杯飲んだあと、店舗でお買い上げいただくというのが、ビジネスプランの大きな部分だ。 これにはヘイグ一族だけでなく、実のところ一世代前までのウイスキー業界の人間なら誰でも唖然とすることだろう。

基礎を築く

ある意味では観光産業がアイデアの始まりだ 2008年のある朝早くのことだ。セント・アンドリューズにあるオールド・コース・ホテルのバーで、当時ポールが勤務していたモルソン・クアーズ醸造所の上司、ピート・クアーズが、明日蒸溜所や醸造所を案内してほしいと依頼した。 少なくとも近郊にはどちらもないと分かり、またそれにクアーズが驚いたことを知ったポールは、市場におけるギャップに注目した。 小売りチェーンのオッドビンズ、インターナショナル・ディスティラーズ・アンド・ヴァントナーズ(IDV)、グレンモーレンジ蒸溜所などで30年以上を酒類業界に身を置いたポールにとって独立の時が到来したのだ。

「セント・アンドリューズは考えるまでもない場所だと感じました」とポールは言う。 「ですが2年も経たずに、なぜこの町で事業を行う人がいないのか分かりました。ぴったりの場所を見つけて認可を得るのは非常に難しいことだったのです」

写真で見る イーデンミル蒸留所の新施設のイメージ図

エデンミルは大学キャンパスに用地を獲得することに成功したが、移転準備中という前提があってのことだった。そのためビールから始めるほうが簡単で、その後ポルトガル製の蒸溜器3基を購入してジンへと発展させた。 2018年の<ザ・スコッツマン>紙のインタビューで、彼はジンをモノポリーのゲーム盤の家になぞらえた。

「ホテルを購入する時が、私たちがウイスキーで市場に打って出るのと同じ意味を持ちます。 本物の結果を得る可能性を獲得したと言える時なのです」

当時のエデンミルは50人以上のスタッフを抱えて、200mlのヒップフラスクウイスキーのシリーズ第1弾を発売したところだった。そしてその最初のシングルモルトは、オークションで7000ポンドで売れた。 だが、たとえ話を続けるなら「ホテル」は今までのところ脇役に甘んじている。これはたぶん会社がジンの大流行を乗り切るのに忙しいせいだ。 エデンミルに限った話ではない。ブリュードッグの蒸溜担当ディレクター、スティーブン・カースリーは昨年 <Unfiltered>にこう語っている。

「私たちはジンの大問題を抱えているウイスキー蒸溜所です」

ウイスキーへの回帰

2018年の終わりまでにエデンミルはスコッチの製造を中止し、翌年まで製造は再開されなかった。これは、新しいシングルモルトのボトルは最短でも2020年代後半になるということだ。 だが特別注文のフルサイズのポットスチル2基で、アルコール100%換算(LPA)すると年間75万リットルの生産能力があるので、今後ウイスキーが花形の役割を果たす準備は整っている。

これには明らかに大型投資が必要だった。それが「健康とウェルネス、ライフスタイル、飲料、高級ブランド、伝統的ブランド」に特化した「低中規模PEF(未公開株式投資ファンド)」と呼ばれるインバーリースLLPとの取引につながったのだ。

「実際のところ、多くの出資者から投資を受けることができたと考えています」とポールは言う。 「一番の心配は、業界について、時間をかけたブランド構築の必要性について、液体を現金にするまでどれだけ忍耐が必要かについて、正しい方法で物事を進める重要性、短期的な利益だけを見ないといったことをきちんと理解している人々でなければならないということです」

結婚についてはジョンストン&カーマイケルが仲介しており、今は愛が溢れている。 「完璧な投資者の絵を描けと言われたら、インバーリースがぴったりでしょうね」

ハネムーンがいつまでも続きますように。 ブライアン・メグソンが2001年にホワイト・アンド・マッカイのマネジメント・バイアウトを行なったときには、ドイツの銀行ウエストLBから資金を調達した。 同銀行が長期にわたり関わることに同意し、ウイスキー株の触感的な性質に魅せられたとういうのが彼の主張だった。 「彼らは物に触れて感じたいと思っているのです」当時、彼はそう言った。 2年後、彼は手を引き、間もなくしてホワイト・アンド・マッカイは再び所有者を変えた。

別な時代の別な会社の話だが、ウイスキーのゆっくりとしたリズムは聖人の忍耐を試す。そしてすべての投資家が聖人の心を持っているわけではない。 そうは言っても、インバーリースは飲料業界の本物の深い知識を持っている。 業務執行役員のポール・スキップワースはLVMHで13年の経験があり、そのうちの5年はグレンモーレンジの経営に携わった。一方、CFOのステラ・モースはスコティッシュ&ニューキャッスルやジーニアス・グルテン・フリーの財務担当重役だった人物で、現在はエデンミルの会長を務めている。 創設時からの蒸溜担当者、スコット・ファーガソンとアンドリュー・ウォーカーに加えて、インバーリースのおかげで合流した新しい経営陣に囲まれた今、ポール・ミラーはエデンミルがまったく新しい章を始めるわくわくする時を迎えている。