5/6
  • Pages

ウイスキーの歴史

ウイスキーとビールのつながりは多く、多様だ。そしてギャビン・D・スミスが報告するように、多くの蒸溜所は醸造所として事業を開始した―また両方の飲料の生産を同時に行う蒸溜所もある。

ビールからウイスキー、そしてその先へ

最も基本的な話をすれば、ウイスキーはビールを蒸溜したもので、蒸溜の世界と醸造の世界は「タン」「ウォート」「バック」など多くの用語を共有している。

従って、歴史的に蒸溜所と醸造所の場所は多くの要素を共有してきた。例えば、地元で信頼のおける純水の供給にアクセスできること、原材料、燃料、カスクを仕入れるために、また最終製品を市場に運ぶために、良い輸送ルートがあることだ。

だから、多くの蒸溜所がもともと醸造所として事業を始めたとしても驚くには当たらない。

だから、多くの蒸溜所がもともと醸造所として事業を始めたとしても驚くには当たらない。
たぶん最もよく知られている例はグレンモーレンジィで、1738年にマッケンジー&ガリーズ モーレンジィ醸造所として創設された。

醸造所としてスタートしたグレンモーレンジィの特徴的な蒸溜器

ビクトリア時代のウイスキーブームにより、醸造所は1897年にグレンマレイ蒸溜所に転換したが、建物はほぼ変更せずに残された

タリバーディン蒸溜所のロビン・レイン氏

ビールは1831年まで醸造を続け、建物は1843年にグレンモーレンジ蒸溜所へと転換した。

スペイサイドに渡ると、エルギンのグレンマレイ蒸溜所は1815年にヘンリー・アーノット醸造所として創業しており、当時、その地域に存在した約80の醸造所の1つだった。ビクトリア時代のウイスキーブームにより、醸造所は1897年にグレンマレイ蒸溜所に転換したが、建物はほぼ変更せずに残された。

パースシャーでは、1949年、タリバーディン蒸溜所がブラックフォード村で元醸造所の場所を利用して操業を開始した。

伝説によると、スコットランドのジェームズ4世が1488年にパースに近いスクーンで戴冠式をした後は、そこでのエール樽の購入をやめたという。後にグレンイーグルス醸造所として知られシャープ家が所有していたこの醸造所は、ブラックフォード村にある製麦棟を備えた3か所の醸造所の1つだった。

西海岸に向かうと、ヒューとジョンのスティーブンソン兄弟が1793年にオーバン醸造会社を設立し、カウベル・エールを生産した。そこは当時、魅力的な自然港を別にすれば、村落に毛が生えたような場所だった。兄弟は翌年にウイスキーの蒸溜を開始し、そのためオーバンはスコットランドで最も古く操業を始めた蒸溜所の1つに数えられている。

しかしオーバンが生き残り栄えたのに対して、他の蒸溜所は脱落してしまった。インバネスには、ディスティラーズ・カンパニー・リミテッド(DCL)による1980年代の大規模な閉鎖計画から逃れられず、後に解体されたグレンアルビンがある。グレンアルビンはミュアタウン醸造所として操業を開始した。醸造所は1826年に醸造業者で穀物商人のアレックス・フレイザーが設立したもので20年後にウイスキー製造に転換した。

建築学的な観点から見て、最も悲しい醸造所/蒸溜所の犠牲者の1つは間違いなく、東海岸のモントローズ港に位置するロッホサイドだ。同地に醸造所が設立されたのは1781年で、後の1889年、素晴らしいエルギンの蒸溜所を作った建築家チャールズ・ドイグの設計で改築された。古典的なドイツの「バウハウス」スタイルのタワー醸造所は、クリーム色に塗られ、同地の景観の中でも人目を引くランドマークとして機能していた。

1926年からはウェアサイドに拠点を置くジェームズ・デューカーが経営していたが、その30年後にデューカーがニューカッスル醸造所に買収された後、閉鎖された。1957年、逸話の多いウイスキーの起業家、ジョセフ・ホッブスが自社のマクナブディスティラーズ社を通じて同所を所有し、モルトウイスキー兼グレーンウイスキーの蒸溜所として再開した。

その後ロッホサイドはアライド・ドメクの一部になっていたが、1992年に同社が蒸溜所を売り払ったために、その年の春に操業を停止した。建築学的に貴重で、歴史的な建築物であったにも関わらず、ロッホサイドは保護対象のリストに掲載されることがなく、2005年に建物は解体され住宅開発に道を譲ることとなった。

ファイフ州のイーデン・ミル、アバディーンシャーのブリュードッグ、サフォーク州のアドナムズなど、多くの醸造所と蒸溜所が併存しています。

写真: ブリュードッグ蒸溜所のスチル

アイルランドのボアン蒸溜所では、ウイスキーとビールを生産している

現在、多くの醸造所と蒸溜所が連携して操業している。その中にファイフのエデンミル、アバディーンシャーのブリュードッグ、それから南の端のサフォークを本拠地とするアドナムスなどがある。アイルランドでは、ミーズ県のボアンがビールとウイスキーの両方を生産している。またケリー県のキラーニー近くでは2400万ユーロが投資され、近い将来に開業した暁には、アイルランド最大の独立醸造所、蒸溜所、ビジターセンターができている予定だ。

そのままアイルランドに目を向けると、ウォーターフォード蒸溜所は元ギネス醸造所から転換した蒸溜所で、従来型のマッシュタンを使わず、醸造用のマッシュフィルターを残している。マッシュフィルターはスコットランドの最新の蒸溜所、ケイスネスのジョン・オ・グローツにあるエイトドアーズの特徴でもある。オーダーメイドのスチルは創設者のデレク・キャンベルとケリー・キャンベルが発注したが、残りの生産設備は閉鎖したエディンバラの醸造所から提供された。

マッシュフィルターは非常に澄んだウォートを作り出すので、ライ麦のような穀物を使うときは理想的だ。ライ麦は、従来型のマッシュタンでは作業が難しい。エイトドアーズは、そのうちマッシュフィルターを使って、以前アイラのブルックラディで蒸溜されていた地元産のベア大麦を有効活用できるようになると期待している。

ベアは伝統的な六条麦の品種で、比較的生産性が低いため、長い間ほとんどの生産者から見放されていた。しかし、ベリック・アポン・ツイードに拠点を置く麦芽原料製造のシンプソンズ・モルト社は、ウイスキーとビール製造の間の新しい繋がりを提供している。同社は次のように報告しているのだ:

「大麦は醸造と蒸溜の世界において小規模のルネッサンスを享受している。醸造業者も蒸溜業者も素材と生産技術の実験を増やすことに関心を向けているからだ」

ギネスの醸造所から現在の蒸留所に転換したウォーターフォード社