
心をひとつに
1983年の創立以来、ザ・スコッチモルトウイスキー・ソサエティは、スコッチウイスキーを最も純粋な形で愉しむことがすべてで、国内のあまり知られていない蒸溜所のウイスキーが取り上げられることもしばしばだった。しかし私たちの歴史の半分以上は、海を越えた向こうにある最高のウイスキーを探し求めることにも費やされてきた。ジュリアン・ウィレムズの記事をお届けする。
カスクやボトルを満載した船が、港から港へ航海し、世界中を巡る。ケイスネスからキンタイアまで大小さまざまな合法(または非合法)の蒸溜所が、近隣および遠方から製品の買い手を見つけてきた。しかしスコッチウイスキーはどのようにしてそんな名声を得たのだろうか。
ローランドでは、カフェスチルからグレーンウイスキーの川が注がれ、最初のブレンデッドウイスキーにつながった。ブレンデッドウイスキーはそれまでより価格も安く品質も安定していて、ほかの多くの蒸溜酒よりも入手しやすい。おかげで、スコッチが一般に広まっていった。イーニアス・カフェの連続式蒸溜器の発明がなかったら、世界はウイスキーを完全に見落としていたかもしれない。しかし先見の明のあるアイルランド人が見通すことのできなかったのが、自分の発明品の最も熱心なユーザーがスコットランド人という皮肉な結果だった。そのおかげで、スコットランドは、最終的にアイリッシュウイスキーに取って代わり、ある程度アイリッシュウイスキーの国際的地位を妨げることになった。

上:革命的な蒸留装置と並んで写るイニアス・コフィー

上:竹鶴政孝とリタ竹鶴
やがてスコッチウイスキーは世界を旅して、デュワーズのハイランド人がニューヨークのタイムズスクエアでダンスを踊るに至った。その後はご存知の通りだ。1918年、竹鶴政孝が、地球の裏側からスコットランドへウイスキー製造法を学びにやってきた。日本に戻ると、竹鶴は余市蒸溜所を設立し、それが最終的にニッカグループになった。この物語は有名だし、スコットランドスタイルのウイスキーが蒸溜されるところならどこであろうと、設立にあたる劇的なドラマがもっと見つけられることに疑いの余地はなく、有名な力学の基本法則の良い例となっている。曰く「すべての作用には同等かつ反対方向の反作用がある。」
実際、それは時間の問題に過ぎなかった。スコッチウイスキーが世界を押しのけて進むと、世界はスコットランドの退廃的な酒という独自の解釈で押し返してきた。
写真: 蒸溜所番号137からのソサエティのボトリング
池の上のさざ波
2002年、ソサエティは初のジャパニーズウイスキー, Cask No. 116.1: Coconut peapods and tropical hothouses をリリースした。長年にわたるメンバーで、テイスティング・パネルの議長やソサエティのアンバサダーを務めるオラフ・マイヤーが当時を思い起こして言う。「英国内で単独でジャパニーズウイスキーのボトリングをした最初の団体はザ・スコッチモルトウイスキー・ソサエティだと思います。それはメンバーの中にちょっとした動揺を引き起こしました。当時、テイスティング・パネルはソサエティの本部にあって、この出来事の動揺は池の上のさざ波以上でした。

上:蒸溜所番号116からのオリジナルのボトリング

上:ソサエティの最初のオーストラリアのウイスキーの手作業のラベリング
116.1のリリースが発表されてからまもなく、破られたり切断されたメンバーシップカード、日本からの「あれ」をボトリングするソサエティの意志を非難するメモが入った封筒が届くようになりました。今、あれと言いましたが、一部の人が使った言葉の正確な言い回しではありません。振り返ってみると、ソサエティがボトリングしたこの最初のカスクを発見するまで、ジャパニーズウイスキーというものを飲んだことがありませんでしたが、『うわ、こいつは旨い。』と思ったことを覚えています。」
確か1988年にソサエティが初めてアイリッシュウイスキーをリリースしたときも似たような反応があった。しかし驚くには当たらない。常識的な道から外れるときには、しばしば代価を払わなければならない。美味しい酒を目の前にすれば、最初は気乗りしなかった人たちの心が最終的に変わると祈るばかりだ。ここではブラインドテイスティングが役に立つかもしれない…
その時以来、スコットランド以外の参入者のリストはさらに長くなっている。オーストラリア、イングランド、アイルランド、米国、ウエールズ、インド、イスラエル、台湾、デンマーク、スウェーデン。そして、他の国も待機リストに入っている。
写真: 蒸溜所番号128の異例の蒸留装置
ウイスキーの兄弟を受け入れる
ウイスキーは現在、その歴史の初期とよく似ていて、明らかに国際問題となっている。そして世界中にメンバーを抱えるソサエティは、たぶんこれを他の多くの人たちよりも理解している。好奇心旺盛なソサエティは新しいことへの挑戦に躊躇したことはなかった。たとえそれが(ときにはそれだからこそ)あまねく存在する不変のファンに対して、特に難しい事態になるとしてもだ。世界が変わるにつれ人生は変わる。時代に即して生きるとは、それを受け入れることだ…だが決して、無造作にではなく。
突き詰めれば、それは海外からのものを一番に提供する話ではない。ソサエティは、蒸溜所の名前と先入観を取り去ったとしても、メンバーが好むであろうものを見つけたいのだ。
カスク単位のスコッチウイスキーは常に入手可能だが、それにも関わらず伝統的に価格にも種類にもかなりのばらつきがある。だから高品質の製品を調達するときには、偏見のない心で、既存の枠にとらわれずに考え続けることが賢い方法だ。実際、貿易風がどちらの方向に吹こうとも、私たちの責務は常により珍しく、興味深いボトルをメンバーのために追加して、魅力を発見し、楽しみ、ますます好きになってもらうことだ。
私たちは遠くにいるウイスキーの兄弟の素晴らしく見事な作品に耳を傾けたり、目の当たりにしたり、探したり、共有したりするべきではないのだろうか。なぜだめなのか?結局のところ、特に上質な1杯でフレーバーが素晴らしいなら、私たちは ジョック・タムソンの子供たち*ではないだろうか。
*スコットランドでよく使われる言い回しで、一皮むけば分断するより団結させるもののほうが多いという意。