1983年はソサエティの設立年だが、多くの意味でスコッチウイスキー業界全体としては低迷期にある年だった。ギャビン・D・スミスがシングルモルト、ビジターセンター、そしてもちろんシングルカスクの活発化により潮目が変わり始めたようすをレポートする。
1983年を広い意味でのウイスキー業界最悪の年とするなら、80年代の半ばまでには、そこまで希望がない状態ではなくなり始めていた。故アラン・グレイは『The Scotch Whisky Industry Review』の中で「1985年から1988年の間に、経済状況の改善にともない消費が回復した。さらに販売量が減少した期間でさえも、販売額は総じて継続して増加していたか、販売量ほどひどい影響は受けなかった」と書いている。
上記:1990年代のラガヴーリン蒸留所
1990年代の説明については、グレイは1990年から1992年の厳しい経済不況の時期には販売量が減少したと述べているが、こう付け加えている。「実は1992年には世界のスコッチウイスキーの消費量が若干増加していて、1993年から1995年にはその勢いが加速している…」
1997年から1998年のアジアは不景気で、南米とヨーロッパも比較的景気が悪かったので、1998年は輸出が大幅に落ち込み、全体の輸出量も8%以上減となった。しかし翌年は「…ヨーロッパでいくらか景気が回復、アジアは一気に盛り返し、ミレニアムの要素も相俟って、1999年の輸出は前年比5%増、純アルコール量で2億3400万リットルから2億6700万リットルに増加した」
この時までに、世界のあちこちの市場における最悪の不景気の試練とは無関係に世界規模のスコッチウイスキーへの関心が高まっていて、販売量は時には減り時には増えたが、スコッチウイスキーへの情熱は冷えることなく続いていた。
シングルモルトについて言えば、種類が増えたという統計が最もはっきりと表されている。1980年は、合計27種類が購入可能となっているが、その数字は徐々に増え、1980年代の終わりには100種類以上のシングルモルトが市場に出回るようになった。
その数は引き続き増加し、限定版やカスクフィニッシュ版が、スコットランドの至るところの蒸溜所から販売される中核商品を倍増させている。自社ブランドのボトリングでも、増加中のインディペンデントボトラーから販売される変種においても同様だ。
ウイスキーに特化した本の出版と、1998年に創刊されたウイスキー専門誌の『Whisky Magazine』によりさらに関心が掻き立てられた。またウイスキーフェスティバル(一番有名なのはスペイサイドとアイラ)では、消費者に蒸溜業者との交流機会や、希少品や新製品の試飲機会を提供した。さらにスコットランドの内外で専門家による小売店の開業が相次いだ。
スコッチウイスキーへの関心が変わらずに高まっているのに気づいた蒸溜業者は、試飲会を企画したり「教え」を広めるためにブランドアンバサダーを任命したりし始めた。蒸溜所のビジターセンターが急増し、各社は競って一般向けに最高の体験の提供を開始した。
スコッチウイスキー業界を世界中の訪問者に紹介する初期の取り組みがスコッチウイスキー・ヘリテージセンターで、後にスコッチウイスキー・エクスペリエンスと名前を変えたが、1988年にエディンバラのロイヤル・マイルのてっぺんの目立つ場所にオープンした。
上記:スコッチウイスキーエクスペリエンス
しかしながら流れを変えた最大の功労者は、ほぼ間違いなく1990年代のインターネット利用の拡大だ。高齢の読者ならブロードバンド到来前の、既存の電話回線を使った「ダイアルアップ」アクセスを覚えているかもしれない。これはインターネットか電話の片方しか使えないことを意味した。そして携帯電話の所有者がまだ比較的珍しかった時代の話だ。
大量の情報へのアクセスが可能になり、スコッチウイスキーについてもっと知りたいという知識欲が掻き立てられた。これは本流を行く人にも、総じてもっと難解な話を好む人にも当てはまった。専門性の高い人々が集うフォーラムではラインアームの角度やマッシュタンの円周が注目の話題となった。
上記:ラーシェイの蒸留所ツアーが進行中
シングルモルトの販売の形についていうと、ソサエティはシングルカスクボトルの提供という点で間違いなく時代を先取りしていた。
ユナイテッド・ディスティラーズのレアモルト・シリーズがブローラ、ダラスデュー、ミルバーン、セント・マグダレンというラインナップで、1995年に発売された。それらは「ナチュラルストレングス」の製造業者のボトルを提供するという点で成功をおさめたが、シングルカスクの製品ではなかった。
シリーズを生み出したマイク・コリングスは、故ウルフ・バックスルッドの著書『レアモルト』の中で、「1年間で最低3つのカスクで、同じ特徴、安定性、そして完全な品質を見せることができたら、ブレンドの素材候補として選ばれボトリングされたのではないだろうか」と述べている。
シングルカスクの「自社内」ボトリングの初期の対象はマッカランの60年物で、最初にカスク番号263番から注がれた1ダースのボトルがピーター・ブレイクのイラストによるラベルをつけて1986年に発売された。しかしこれは超稀少な製品で、現在はオークションで100万ドル以上の価格で取引されている。
最初のシングルカスク、カスクストレングスのインディペンデントボトリングは自分たちの功績だと主張できる会社は、たぶん1982年に設立された知名度の低い会社、ジェイムズ・マッカーサーではないだろうか。10年後にジェイミー・ウォーカーのアデルフィ・ディスティラリー・カンパニーから発売された製品がそれに続く。
ソサエティはスコッチウイスキー業界が悲観的だった時代に生まれたと言えるかもしれないが、業界が成長するにつれて、現在は多くの人から愛される団体へと発展した。同じくスコッチウイスキーの運勢も飛躍的に上昇し、これまでになく情報が溢れ、多才な体験が利用できるようになり、市場には比べようもないほど多彩な選択肢が並ぶようになった。
今のウイスキー愛飲家はこれまでにないほど素晴らしい体験を享受しているのだ!