CHARLIE MacLEAN

All aglow for Charlie 最愛の人、チャーリー

チャーリー・マクリーンはウイスキーの世界を牽引するライターで専門家の1人で、今年、女王陛下の誕生日受勲者名簿において、MBEのタイトルでより知られている大英勲章第5位を受勲したことが分かった。アンフィルタード編集長のリチャード・ゴスランはクイーンストリート28番地で彼を捕まえ 、勲章と長年にわたるSMWSとのつながりについて話を聞いた。

PHOTOS: MIKE WILKINSON

クイーン・ストリート28番地のチャーリーの全貌

「非常に重要な名誉であり、その名に値するとは思えませんが、尽くしてきたことは確かです 」私がチャーリー・マクリーンがMBEとなったことに対してお祝いを述べると、彼はそう答えた。そして自分の価値についてどう考えていようと、チャーリーが尽くしてきたことに疑いの余地はない。

ウイスキーに関する執筆のキャリアは、1981年、ベル(Bell's)のための短いパンフレットを書いたときに遡る。蒸溜所が次々と閉鎖され、望まれない蒸溜酒の在庫過剰 の時代、法曹界における可能性の高いキャリアを投げ捨て、他の関連する資格にも背を向けた不安定な時期だったかもしれない―お父上の落胆の影響も大きかっただろう。 「父は法律家になった私をこう紹介するのを誇りに思っていました。『これがうちの息子のチャールズ、女王陛下の印章をいただく原稿を書いているんですよ、ご存知でしょう』そして私が言うんです。「父さん、法律は3年前に諦めたんですよ!」父は私がしたことを決してきちんと理解はしませんでした」 当時、ウイスキーはチャーリーが書くテーマの1分野に過ぎなかったが、1992年、ペントランズ・スコッチウイスキー・リサーチ社(スコッチウイスキー研究所の前身)でジム・スワン博士とシーラ・バートルズが実施した「飲用蒸溜酒の官能評価」の講座 が重要な転機となった。

「あの講座が私の人生を変えました」とチャーリーは言う。「私は最初のウイスキー・ノートをほぼ書き終えたところでしたが、官能評価の受講後は、ノートに戻って自分の試飲メモをすべて書き直さなければなりませんでした!」 その少し後に当時のソサエティの責任者だったリチャード・ゴードンがSMWSパネリストのチェアマンになるよう依頼してきたのです」パネリストのテイスティング・メモは常に刺激的で熱がこもったものでした。私の役割はパネリストを活気づけると同時にその構成を合理的にすることでした―ウイスキーの外見について語ってから味について語りましょうとか、そういったことです」 チャーリーはメンバーとしてソサエティの発展を見てきた。なかでも1980年代初期、リースにある興味をそそる新しいウイスキー・クラブについてエディンバラをかけ巡った噂により、ザ・ヴォルツに惹かれた。 「再建中だったザ・ヴォルツで行われた21歳の誕生日パーティに行ったのを覚えています」と彼は言う。「そこら中に足場が組まれ、数本の瓶が乗っている、奥の壁に押しつけられた机のほかに家具はひとつもありませんでした。誰でもそこに行って、人と出会い、酒を分け合って、善意の箱にお金を入れれば良かったのです。当時は、シングルカスク・ウイスキーを、ノンチルフィルタードかつナチュラルカラーの状態で本気で試飲するという概念がまったく新しいものでした。画期的だったんです!この製品はソサエティが登場するまで出回っていませんでした」 ソサエティのニューズレターに貢献すると同時に、<アンフィルタード> 誌に形を変える紙面の先駆者だったチャーリーは、1981年にウイスキーについて書き始めて以来、コンスタントに書き続け、今や自分の名前で書いた本が18冊となり、今後も発行予定がある。 「ここ1年半のロックダウンの間に、5冊の本を書いたり改訂したりしていました。業界の仕事は常にありますが、執筆で生き残るのは難しいものです」

クイーン・ストリート28番地のチャーリーの予約席

チャーリーのMBE受勲の際にはスコットランドや英国の輸出への尽力だけでなく、慈善活動についても特に言及されている。彼は常々様々なチャリティで試飲会を主導してきたが、直近の活動は3人の息子との協力から生まれたもので、新記録となった彼らの大西洋横断航海の冒険だった。2019年のタリスカー・ウイスキー大西洋チャレンジに参加した、ユアン、ジェイミー、ラクラン・マクリーンは大西洋を手漕ぎボートで横断した最初の3兄弟であり、カナリア諸島からアンティグア・バーブーダまで3000マイルを超える距離を35日の過酷な日々の末に漕ぎきった最年少、最速のトリオとなった。

「あの子たちはOBE は『他の若者の努力(other bugger’s efforts)』の頭文字だと言い、私はMBEは『うちの子たちの努力(my boys’ efforts)』の頭文字だと話しているんですよ!」とチャーリーは笑う。

「大西洋横断の冒険に乗り出す前、子供たちはスコットランドの西海岸で漕ぐ練習をしたがりました。そして私に道中にあるすべての蒸溜所に寄らせて、フィードバック・マダガスカルというマダガスカルの貧しい人々に井戸を掘る慈善活動のためにボトルを寄付してくれないかと相談したのです。(ホワイト・アンド・マッカイのマスター・ブレンダー)リチャード・パターソンと一緒に、最終的に2種類のボトリングをすることになりました。1つはマクリーンのピリッジ(戦利品の意)といい、もう1つはマクリーンのスピリッジ(流出の意)と名づけられました。製品は土手から雪を払うかのような売れ行きで、20万ポンド以上を売り上げました」 「今、息子たちは新しい冒険を計画していてオーストラリアからマダガスカルまでインド洋を手漕ぎボートで横断しようとしています。横断距離は4000マイル以上あり、インド洋にはどうやら19種類の人食いザメがいるようです。何とか説得してやめさせようとしているところです!」 一方、チャーリーは久しぶりに本業に戻り、執筆や編集を続けると同時に、エディンバラの特別式典でMBEを受章するのを楽しみにしている。 「皆が私に言うんです。世界で最高の仕事に違いない、ウイスキーを飲んで、ウイスキーについて語り、書けばいいんだから。どうしたらそんな仕事に就けるんですか?ってね。私は実践、実践、実践あるのみと答えています」