
FROM THE VAULTS: RECESSION
Sitting pretty
2009年、経済の低迷で経済活動の多くのセクターが混乱していた頃、ウイスキー業界は市況に逆らい、むしろ繁栄を享受していた。私たちは当時、専門家の一団に、業界のこの先の見通しをどう考えていたかを尋ねた。彼らの予想はどの程度正確だっただろうか? 2009年のアンフィルタード第2号からこの特集記事を見てみよう。
インドの北東部、アッサム州の州都グワーハーティの今にも崩れそうなホテルの部屋に座りながら、私は仕事仲間が究極の贈り物と考えるものを目の前にする栄誉に浸っていた―ジョニーウォーカー・ブラックラベルのボトルだ。グワーハーティの質素な酒屋では手に入らない、貴重な積み荷は、実はバンコクから特別に私たちのミーティングのために空輸されたものだ。ディアジオは自社の有名ブランドがソーダや水と混ぜられ並々と注がれて飲まれようとこれっぽっちも気にかけないだろう。 この場面はインド中の、そして途上国中のホテルの部屋やバーで展開されている。そうした地域では、スコッチへの欲望の増大が経済を襲う最悪の状況を救っている。 他のセクターが利益の急落や、やむを得ない人員整理などの世界的信用危機の痛みを味わう中、ウイスキー業界は、本稿の印刷時点では確固たる位置にいるように見える。成功しているといってもいいくらいだ。 前回英国が不況に喘いだ1980年代初頭の業界は、ポート・エレンやダラス・デューといった象徴的ブランドを含めて多くの蒸溜所が閉鎖の憂き目を見た。しかし今回、ウイスキー業界は経済の潮流に逆らい、80年代に目の当たりにした閉鎖の繰り返しを避ける見通しだ。 今回の状況が異なっているのは、とりわけ市場が世界的なスコッチへの渇望の影響を受けているからだ。スコッチウイスキー協会によれば、2007年の輸出高は28億ポンドだった。関税改正のおかげでインド市場では2006年から金額ベースで36%成長し、3300万ポンドを超えた。
一方シンガポールへの直送―大半のウイスキーはそこから中国やその他の東南アジア各国へ輸送される―は84%増の5800万ポンドだった。単純に輸出の面で考えると、業界で4番目に大きい市場になる。 「ある国が繁栄を享受するようになると、誰もが欲しくなる飲み物がスコッチだというのは興味深いことです」スコットランドの蒸溜所の閉鎖に関するドキュメント『失われたスコッチ(Scotch Missed)』の著者、ブライアン・タウンゼンドはそう語る。「私たちは何億人という人口のいる国の話をしているので、ほんの数パーセントがウイスキーを購入するとしても、購入する気のある人が大勢いると考えられます」 ダンカン・テイラー社(DTC)の最高経営責任者であるユアン・シャーンは、全人生をウイスキー業界で過ごしてきた人物で、良いときも悪いときも自分の目で見てきた。 「この業界は200年間、良いときと悪いときを繰り返してきました。経済の好況と不況に追随し、伝統的に英国、米国、フランス、ドイツなどの成熟した市場に供給してきたのです。 1970年代、確実と言える極東の市場は日本だけでした。韓国、シンガポール、台湾に少しは売っていましたが、最近は中国やその他のアジアの主な市場から圧倒的な関心が寄せられています。彼らはウイスキーについて知っていて、広告を見て、一枚加わろうとしているのです」 市場調査会社ユーロモニターのシニア酒類アナリストであるジェレミー・カニングトンもまた、業界の幸運は盛況の輸出市場と密接にリンクしていると見ている。
前回英国が不況に喘いだ1980年代初頭の業界は、ポート・エレンやダラス・デューといった象徴的ブランドを含めて多くの蒸溜所が閉鎖の憂き目を見た
「業界の新たな成長は、成長する国々のおかげで、消費者は自分たちの富で伝統的な蒸溜酒からより高級なものへ買い換えています。スコッチウイスキーには、より高級で立派という魅力があります」と彼は言う。「現在の経済不況によりこれらの国々が酷い打撃を受ければ、この成長は短期的には落ち込むでしょう。しかし経済成長が回復すれば、需要増がついてくるはずです」 拡大する輸出市場は、1980年代の閉鎖による業界の後退、そして今直面している新たな不況の救済となっている。しかし、専門家たちは20年前と比べて蒸溜所はずっと良い状態にあると口を揃える。 ディアジオは来春、マレー湾沿岸近くの新しいローズアイル蒸溜所で製造を開始する準備を整えている。同所は長期的な輸出の需要に対応するために設計された1億ポンド規模の施設だ。「ローズアイルはディアジオの意図の大きな声明です。将来の前向きな見通しについて地に杭を打ち込む行為なのです」ディアジオのシングルモルトとスコッチウイスキーの伝統部門の責任者であるチャールズ・アレンはそう語る。「これは長期の事業であり、私たちは水晶玉を取り出して18~20年先を見越さなければなりません。しかし先を見ると、私たちは生産能力を拡大する必要があり、何よりも2020年、あるいは2025年になって振り返ったときに拡大しなかったことを後悔するのだけはいやだったのです。私たちは成長に賭けています。そして業界のリーダーとしてその成長を推し進める責任があります」 一方、多くの小規模な蒸溜所も市場に再参入しており、大手の製造業者同様、小規模蒸溜所にも需要があると証明している。

ビリー・ウォーカー氏
マスターブレンダーのビリー・ウォーカーは、2004年、ペルノ・リカール社のスコッチ・ウイスキー事業を担うシーバス・ブラザーズ社からのベンリアックの買収を先導した。この年の8月、ベンリアックはペルノ・リカールからグレンドロナック蒸溜所を引継いで事業を拡大し、つい最近の2002年まで操業休止していた蒸溜所の明るい未来を確保するのに手を貸した。 「業界の状況はより健全になっていて、見通しも良くなっています」とウォーカーは言う。「1980年代の閉鎖の連鎖に戻る兆しは見られません。現在の経済状況に何が起ころうと影響を受けるのはきっとまだ先のことでしょうが、これは長期的なビジネスですし、大手企業は私が思うにあり得ないような素晴らしい仕事をやってきました」
「業界には熱狂的になりすぎてしまった歴史があります。これが起こると蒸溜所をオープンさせ、生産能力を拡大し、生産量を増加します。そして多くの場合、やりすぎなのです」
アラン・グレイ
業界は確固とした成長の数字を叩き出したあとに停滞状態にもなっている。 「私たちは2005、2006、2007年と好調な3年を経験し、輸出は量にして平均6%増でした」過去31年間の 『スコッチ・ウイスキー業界概観(Scotch Whisky Industry Review)』をまとめてきたアラン・グレイはそう語る。「これは1995~2005年の平均成長率1%に匹敵するものです。そう考えると大躍進でした。 2007年をベースに考えると、この先5年間の平均年間成長率は量にして2.5%前後だと考えています。過去3年ほどではありませんが、確実に長期的な傾向を上回るでしょう。 私の見通しはかなり控えめなものですが、さらに下向きに訂正しなければならないかもしれません。この不況がどれくらい厳しいものになるかは誰にも分かりませんから」 「ウイスキー・レビュー(Whisky Review)」の編集長イングヴァール・ロンドも経済不況に対して業界は充分に対処できると見ている。 「ここ2年の好調の勢いのおかげで、来年の業界は最悪ゼロ成長の年になるかもしれません。しかし2009年と2010年は厳しい2年になると覚悟しておくべきでしょう」 ひとつの懸念材料は、シングルモルトを作るのに必要な時間の経過から商品の予測が難しい点だ。 「業界には熱狂的になりすぎてしまった歴史があります。これが起こると蒸溜所をオープンさせ、生産能力を拡大し、生産量を増加します。そして多くの場合、やりすぎなのです」とアラン・グレイは言う。「必要なのはトラブルに発展するちょっとした停滞で、今回起こってもおかしくありません。1980年代と同規模で閉鎖されることにはならないと思いますが、その可能性を否定はできません」
DTCのユアン・シャーンにとって、業界の継続的な成功の秘訣は生産過剰の罠に陥らないことだ。 「閉鎖を避けるには、あまり作りすぎないで、高級市場向けのままでいるべきです。スーパーマーケット価格でブレンド商品を販売するのは蒸溜所が生産を続けるための方法かもしれませんが、熟成まで時間のかかる高級商品の弱体化を招きます。 蒸溜所が閉鎖されるのは、生産量が多すぎて、その結果手早く金を稼がなければいけなくなるときだけです。 スプリングバンクは生産のためだけに生産しているのではない、目指すべき道を見せていると言えるかもしれません」 ユーロモニターのジェレミー・カニングトンも同意する。「業界は将来の成長の見通しや生産施設を過剰に作ってしまったという理由で、見境なく大量に生産するのを避けなければいけません。成長する市場で安く売り過ぎて、スコッチ・ウイスキーの高級イメージを傷つけ、名声を破壊するのはやめるべきです」 インバーゴードンの元チーフブレンダーのトレバー・コーワンにとっては、20年前の悲惨な閉鎖はいまだ記憶に新しく、あの当時の経験を繰り返す者が1人もいないように祈っている。 「当時、1回の週末だけで業界における非常に多数の友人を失ったことを覚えています。まったく耐え難いことでした。今、何が嬉しいといって、新しい蒸溜所が実際に建てられていて、古い蒸溜所も再開していることですよ。業界の見通しについてはとてもワクワクしています」 スコットランドの島々や峡谷からグワーハーティ、さらにその先まで、この心情に共感する杯が掲げられることだろう。 *役職と情報は2009年執筆当時のもの