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ザ・スコッチモルトウイスキー・ソサエティ設立から40年:始まりの場所へ足を運ぶ

ザ・スコッチモルトウイスキー・ソサエティが設立40周年を迎えるにあたり、Unfiltered誌編集長のリチャード・ゴスランが、当ソサエティ創設者ピップ・ヒルズと共に、彼がウイスキー製造の啓示を受けた田舎の農場を訪れ、当時を振り返る。

PHOTOS: MIKE WILKINSON

人里離れた静かなアバディーンシャーで、ソサエティのウイスキーの入った古いレモネード瓶を片手に、私はすべてが始まったという場所にやって来た。ソサエティを興した者たちと共に。

ダンカンとカトリーナ・K・マッカードルの名前は、多くのソサエティ会員にとってさして重要ではないかもしれない。とはいえ、彼らがピップ・ヒルズと友情を育み、1970年代にデンミル農場へ移住しなければ、ザ・スコッチモルトウイスキー・ソサエティ設立40周年の物語がここで綴られることはなかっただろう。

ピップは著書『創設者の物語(The Founder's Tale)』で語る。「Kの祖父がトレス海峡で真珠貝採取を行っていなかったら、ダンカンはその小さな農場を買い取る資金を得られなかったと思います。そして私がその農場へ訪れることも、大麦を収穫することも、スタンに出会うこともなかったでしょう。スタンとの出会いがなければ、ウイスキーへ目覚めることもなかったでしょう」

物語は1973年まで遡る。スタン・バーネットこそいないが、ダンカンとKは今もこの地にいる。スタンは、彼らが古いコンバインを復活させて成熟した大麦を収穫するという大技を見物していた近隣の農家だった。

「ダンカンとKは、農場と一緒にコンバインなどの古く錆びついた機械を大量に購入していました」とピップは振り返る。「これを使って麦を収穫しようと考えてたのです。エンジンをかけて、ダンカンがあちこちレバーを触っていたのを覚えています」

「しかし何も分かりませんでした。これまでコンバインに乗ったことがなかったのですから」とダンカンは告白した。「それでも何とか畑にまで出たところでまた考えたのです 『ちょっと待てよ、この後どうすればいいんだ?』と」

結局彼らは、彼らなりの奇妙な方法で大麦を収穫したのだった。この試行錯誤におおいに関心を持った地元の農民たちは、古びたコンバインが畑を走り回る姿を見にやって来た。

写真: アバディーンシャーのデンミル ファームでピップ ヒルズと一緒にいるダンカンとカトリオナ マッカードル。シングル カスク ウイスキーのレモネード ボトルで始まりました。

「農民たちは車から降りてフェンスに寄りかかり、都会からやってきた私たちを見物し、コンバインがまっすぐに走れていないと指差してきました」とピップは言う。 「しかし収穫を終えた途端に雨が降り始め、それは6週間ほとんど止むことはありませんでした。門から私たちを笑い飛ばしていた多くの地元の人たちも、次第に私たちは自分たちが知らないことを知っているのでは?と考え始めるようになったのです」

ピップが語るところによると、ダンカンとKの地位は目に見えて向上し、多くの人たちが親交を深めに彼らを訪れるようになったという。そのうちの一人がスタン・バーネットだった。近隣の農家で、毎週土曜日の昼時に、ウイスキーの入ったレモネード瓶を片手に訪問していた。しかし、これはただの古いウイスキーではなかった。スタン自らが、シェリーで熟成させたクォーターカスクから取り出したウイスキーだった。それは、グレンファークラス蒸溜所と特別な契約のもと、毎年購入しているものだという。ピップがスタンの元を訪れた際、彼はその一杯をピップへ分かち合った。それがウイスキー製造の啓示を受けた瞬間である。その体験は、人里離れたアバディーンシャーの農園から、エディンバラのニュータウンへ、そして英国全土、ひいては世界中へ波紋を広げることになる。その波紋は今もなお、ウイスキーの最も純粋な形、一度味わえば忘れることのできない「ソサエティのウイスキー」を人々が口にするたびに大きく広がり続けている。

「スタンが分かち合ってくれたのは、それまでの人生で最も上質なウイスキーだったことは間違いありません」とピップは語る。 「私はこれまでウイスキーがそれほど好きではなかったのですが、スタンのウイスキーは素晴らしいものだと感じました。これまで飲んでいたどのウイスキーとも違う、ただ驚くような味でした」

この目覚めがきっかけで、ピップは自分とエディンバラの友人のためにこのウイスキーを手に入れようという <名案> がひらめくに至った。 ピップは、心さえ酔わせてくれるこのモルトの調達元についてスタンに詳しく訊ねた。幸運なことにスタンは喜んで自分の知識を共有し、新たな友人のために口添えさえしてくれた。

「私はグレンファークラス蒸留所へ電話をかけ、その上質なシェリークォーターを売ってくれないものかと問い合わせました」「私は幸運でした。顧客のひとりが最近亡くなり、そのクォーターカスクを引き取る人がいなくなってしまったところだったのです。 スタンの推薦も大きく後押ししてれました。私がローランド地方の人間にもかかわらず、誠実で信頼に足る人間であることを示すものだったのですから。私は足早にエディンバラに戻り、私の <名案> を力を合わせて実現することに興味を示してくれた友人たちに話をしました」

後の物語は知られている通りだ。ピップの <名案> は、次第に現実のものとなっていく。購入したカスクを友人たちと分かち合い、その友人の友人たちが、その味を求めて電話をしてくるようになった。 ピップの電話はひっきりなしに鳴り響いた。そして、さらなる運命の瞬間を迎える。 1983年、ザ・スコッチモルトウイスキー・ソサエティの誕生だ。

ピップは彼の一番最初のカスクを購入した時のことをこう振り返る。

「当時、このようなことになるとは思いもよりませんでした。悪事を働くわけでもなく、ただ人間の幸福の総量をほんの少し増やすだけ、と考えていたのですから」

人間の幸福の総量がどの程度増えたかについては議論の余地があるが、ソサエティのウイスキーを一度味えば、ピップのひらめき、ダンカン、K、そしてスタンに感謝するに違いない。 まだ自身の舌で味わったことのない人は、ぜひ体験してみてほしい。