ウイスキー知識
液体と金
どうしたら多額の費用と手間暇をかけずにスピリッツの熟成度を見極められるかという、ウイスキー業界の難題の1つを、金の活用によって解決できるのだろうか?この貴金属がウイスキーの世界にどう貢献できるか、トム・ブルース-ガーディンが探求する。

グラスゴー大学化学部のウィル・ペヴラー博士は、白衣を脱ぎ、研究用ゴーグルをはずした後のウイスキーを大の楽しみにしている。そんな博士が、研究とウイスキーを組み合わせてウイスキーの熟成を科学的に分析する機会見過ごすはずもなかった。 「スコッチウイスキー研究所(SWRI)から、同研究所が解決に取り組んでいるウイスキーの課題や難問を聞いたのを機に、1年前からこのプロジェクトに取り組んでいます」とウィルは語る。
ウィルはカスクでの熟成について、こう言う。「熟成とは、スピリッツと樽材の間の化学交換そのものです。 どの程度の期間にどの程度熟成が進んだかを多面的に数量化しようと試みたのです」人間の場合と同じことで、酒類の熟成度は年数だけでは推し量れない。

上: ウィル・ペベラー博士

上: アラスデア・クラーク教授
カスクの年齢や大きさ、前に何を詰めたか、使用頻度はどうか、どういうチャー(樽の内面を焦がすこと)方法を採用したか等々、変数は無数にある。 博士が語るとおり、「変数の複雑な組み合わせが、ニューメイクのスピリッツ(新酒)が樽材から化学物質をどの程度抽出し、化学反応を起こすかを左右します」
ジェニー・グレイシー博士と共著の研究論文のタイトル、『ウイスキーの樽熟成のためのプラズモニックナノ粒子成長』はお世辞にも一般受けするものではないが、論文の中身は金の微粒子に関するものだ。この貴金属は、ウィルの大学の同僚研究者で、折に触れ共同研究も行うアラスデア・クラーク博士が、5年前に飲料業界のために行った(人工知能ならぬ)「人工舌」の開発にも使用されている。
携帯用の分光器、あるいは可能性としてはスマートフォンのアプリでも使用可能なこの機器は、倉庫のサンプルを研究所に送ってガスクロマトグラフィー用の、(ウィルに言わせれば)「大袈裟な機器」を使った分析を依頼する旧来の方式と比較すれば、格段に実用的だ。
極度にセンシティブ
金は環境に極度にセンシティブな金属だ。「空気中にあるか水中にあるかで金の色が変わります。水の屈折率が異なるためです」とアラスデアは解説する。
ウイスキーも含め、液体によって屈折率が異なることを利用して、アラスデアは人間の味蕾に類似した極小センサーのチェッカーボードを開発し、ボードを液体に浸した場合に各センサーがどのように光を吸収するかを計測することに成功した。
熟成度も同じ手法で測定できるようだ。「小規模な実験で、ウイスキー中の化学物質が金塩と反応してナノ粒子を形成し、溶融度の測定が可能な明るい赤色を発色する様子が確認できました」とウィルは語る。化学反応のスピード、発色度合、ナノ粒子の大きさや形状を計測することで、多種の異なるウイスキーを分析し、比較することが可能となる。
開発された機器は、スコッチとウオッカの識別に成功して第1関門を通過。続いてTescoのスペシャルリザーブ、ジュラ10年物、ラフロイグ、ハイランドパークなどを機器に評価させた。


上: 迅速な Au NP 合成を使用してウイスキーの熟成を検出するプロセスを示しています (出典 CC BY 4.0)。
オークニー諸島の長い冬による反応なのだろうか、ハイランドパークは、「極めて広いプラズモン・バンドと見合いの顕著なグレー色を持つ金ナノ粒子」を生成していることが認められた。SWRIからは、シングルカスクの樽詰め初日から半年ごとに6年間採取した基準サンプルが提供された。
携帯用の分光器、あるいは可能性としてはスマートフォンのアプリでも使用可能なこの機器は、倉庫のサンプルを研究所に送ってガスクロマトグラフィー用の、(ウィルに言わせれば)「大袈裟な機器」を使った分析を依頼する旧来の方式と比較すれば、格段に実用的だ。「この方がはるかに安く、早く、簡単です」とウィルは言う。「この方式ならその場で計測できます。計測コストを調べたところ、1実験当たりのコストは1ペンス以下でした」
マスターブレンダーが、暗い倉庫内でカスクを一個一個ゆっくり嗅ぎわけつつ進む優美さは失われるものの、業界にとっては明らかに魅力的な手法だ。これは誰の職をも奪うものではなく、単なる分析機器に過ぎないと、ウィルはすぐに付言した。ウィルはスコッチウイスキー業界と協働して、このナノ粒子技術を更に磨きたい考えだ。「そうなんです。今の研究は全体としての熟成度の計測の範囲にとどまっていますが、特定のフレーバー香をもたらす化学反応をより正確に特定できる余地がまだあるように思います。例えばバナナや、ピートの効いたスモーキーなエステル香など」とウィルは語る。
熟成に要するコスト
熟成には時間を要し、費用もかさむ。シングルモルトの説明に熟成年数を記載しなくなった理由の一つはそれだろう。しかし、熟成年数はセンシティブな問題でもあり、消費者からの反発も招いている。 例えば数年前のマッカランがそうだったように、年数表記が消えたかと思ったらまた復活している例もある。 現在インドの蒸溜所が、熟成期間3年未満でも、自社のウイスキーを「ウイスキー」として輸出できるよう英国との貿易協定についてのロビー活動を展開している。待望のこの協定が締結されれば、ウイスキーの世界最大の市場(であるインド)の輸入関税の引き下げがついに実現される可能性がある。
スコットランドの蒸留業にとって期待が大きい協定だが、(インド市場への輸出拡大の)引き換えとしての熟成の最低年限引き下げは受け入れがたい条件だ。 スコッチウイスキー組合にとって3年超は譲れない一線だ。インドのウイスキー生産者は、インドのウイスキーはスコッチよりはるかに早く蒸発して熟成し、天使が分け前を摂りすぎる前にボトル詰めする必要があると主張する。 インドの蒸溜業組合CIABCの長、ビノッド・ゲリは、「英国側が非科学的な主張に固執しないことを希望する」と言う。
ウィル博士は、「高温で熟成されたウイスキーを分析するのは本当に面白いことだ」と言う。


Oもちろん「熟成」をどう定義するかは究極的には主観の問題で、スピリッツがカスク内でどう進化するかについては多くの見方があり得る。ウィル博士が語るように、「ウイスキー内の最終的なフレーバー分子を生成する連鎖的化学反応は山ほどあります」一部の化学反応は加速できるかも知れないが、他はただ待つしかない。
この研究の実地への適用もさらに広がる可能性がある。アラスデア・クラーク博士の開発は、「偽ウイスキーを廃業に追い込む人口舌」と喧伝された。「それも確かに使い道の1つですが、実際に様々な飲料業界に聞くと、皆口を揃えて、偽物よりも、製法の誤りによるロスの方がはるかに大きいと言うのです」と彼は言う。 金の微粒子は、だめな生産ロットが仕上がる前の早期警報装置としても活用可能かもしれない。
とはいえ、どんな発明も実用化は大変だとアラスデアは次のように語る。「私やウィルの研究室の研究成果を見る人が気付いていないのは、過去に存在しなかった技術を初めて実証するまでに何年挫折を繰り返してきたかです。風がなく、星が整然と並ぶ特定の火曜日に研究室での実証に成功することと、その技術がコンスタントに使えるようになることとは全く別次元の話だということです」
The practical applications of this research can also evolve. Professor Alasdair Clark’s creation was billed as ‘the artificial tongue that could have whisky counterfeiting licked’