ウイスキー史
スコッチとシェリー
ザ・スコッチモルトウイスキー・ソサエティが40年前に世に送り出した最初のボトリングリスト。そこにはグレンファークラスが入っていた。「シェリーカスクで8年熟成させたからこその深みのある色味」とのコピーで、当時の小売価格にして13.45ポンド。絶大な支持を誇る数々のシェリーカスク熟成ウイスキーのラインナップは、カスクNo.1.1から始まった。それにしても、数あるワインの中でなぜシェリーだけが上質なスコッチとが固い絆で結ばれたのだろうか?このテーマを追いかけてきたイアン・ラッセルが解説する。

ウイスキーづくりが始まった頃の遠い過去、ウイスキーに使うカスクの種類の選定の決め手は、第一に入手のしやすさにあった。 ローマ時代に始まり、かつて物を運ぶ時には木製樽が重用され、釘、タバコ、魚、バターをはじめ、ありとあらゆる品々に使わていた。
なかでも、シェリー、ポート、クラレット、ブランデーに代表される、ワインや蒸留酒の輸入用途の容器として樽はうってつけだった。樽からそのまま直に飲まれることが多かったものの、英国で澱抜きと瓶詰めを行うことが増えてゆく。空樽は再利用するためにワインや蒸留酒の商人に手に渡り、そこから蒸溜所に送られてウイスキーを詰めていた。
ワインや蒸留酒の詰まったカスクをセラーで保存する余裕のあった蒸溜所の間では、貯蔵過程で木、特にオークがもたらする好ましい作用がよく知られていた。ロザーマーチャスに暮らしていたエリザベス・グラントは、1822年に自身が「グレンリベット」と称するウィスキーについて、「コルクを開けず、素材に木を使って長期間寝かせてあるためミルクのようにまろやか」と記している。それだけでなく、以前カスクに入っていた液体が木の導管を通じて溶け出して、次にカスクに入った液体のフレーバーに主として好ましく作用することは明らかだった。 シェリーがしみこんだカスクによって、ウイスキーに紛れもなくプラスの作用があると考えられていた。
リッチかつ甘やかな酒精強化ワインは1870年代に最盛期を迎え、シェリーだけでも数万単位のバットがスペインからアイラ島に輸入されていたほど。空になったばかりのシェリーカスクによって貯蔵効果を生み出し、リッチ、ナッティ、メロウ、スムースといった特徴を兼ね備え、美しい深みのある黄金色を帯びたウイスキーは、経済的に豊かなワインや蒸留酒の愛好家の多くに愛されるようになってゆく。
シェリーカスクで貯蔵したウイスキーをひとつの商品特性と捉えて売り込むことは、アイルランドのディスティラーと商人から始まったようだ。1850年代にローやジェイムソンなどが出した新聞広告では、"真新しいシェリーカスクで貯蔵する"と強調し、メロウ感と熟成度合いを高めた蒸留酒をつくるとうたった。アイリッシュウイスキーにとって、シェリーフレーバーはスコッチと違いを際立たせる要素だったのではないだろうか。当時のスコッチは独特のスモーキーさとピート感で知られていたため、甘い味わいに慣れた舌には向かないと評されていたからだ。
1870年代、スコットランドの商人たちは、強敵・アイリッシュウイスキーのブランドとの勝負に打って出るため、シングルモルトとグレーンスコッチウイスキーをブレンドして幅広い層に訴求しようとする。こうしたブレンダーには克服すべき大きな課題があった。それは、ブレンド組成で大きな割合を占めることの多い、ナチュラルなフレーバーのグレーン蒸留酒の気配を消すこと。言ってみれば、フェノールが災いする未熟成の蒸留酒の好ましくないクセの強さをうまく隠すことだ。そしてシェリーカスクで熟成したウイスキーの比率を高めることが課題解消につながると判明し、ブレンデッド・スコッチを世界で愛される蒸留酒に押し上げる結果となった。飲食業界についての月刊誌『Victualling Trades Review』では、1906年に次のような記述がある。「多くのスコッチは、真新しいシェリーカスクの木がもたらす熟成効果により、まろやかさと柔らかさが長年安定している」。
19世紀後半、ブレンデッド・ウィスキーの需要が爆発的な高まりを見せたことで、ウイスキーの生産量も急激に伸びた。ところが、シェリーカスクの需要が増えるさなか、シェリーカスクの英国への輸出量は減少し、カスクを入手しにくい事態となる。本物の使用済みカスクを求めて取り合いとなった結果、カスクの価格が跳ね上がってしまう。そのためディスティラーとブレンダーは、シェリーカスク同様の効果を生むような低コストの代替手段を模索することを余儀なくされた。
さて、「シェリーカスク」という用語は、マディラ、マルサラ、マラガなど他の酒精強化ワインに使われたカスクを総称するものとして定着していた。 安く済ませる代替手段として、安いフルーツワイン(人気を集めたのはプルーン)や砂糖まみれの甘いワインシロップでカスクをさっとすすぐ方法があった。その他のシェリー代替手段は、単純にウイスキーに足す方法だ。大々的なプロモーションで知られたMellineには、スコッチ80ガロンに対して1ガロン(英ガロン:約4.5リットル)を注ぐよう説明書きが付いていたという。
貯蔵目的のシェリーカスクの代替品は確かに安く手に入った。だとしても、"ブレンディングワイン"でカスクをすすぐ方法や、ウイスキーに何リットルか加えるといった方法では、探し求めるシェリー本来の特徴を再現できないことはワイン・蒸留酒業界の多くにとって自明だった。業界のある事情通は、『Victualling Trades Review』誌で不満の声を上げる。無節操な商人が「不快感を覚える、どす黒い何か」を使って、文句の付けようがないモルトウイスキーを粗悪で安っぽいラムに変えてしまったと。ナショナル・ガーディアン紙は、ウイスキー業界の重鎮の声を次のように代弁した。「ウイスキーにとって本物のシェリーカスクはこれからもブレンダーに欠かせず、代用品やワインや色を加えることでは効果がないのだ」。
方法は他にもあった。1890年代、グラスゴーのブレンダーたちとワイン商人のW・P・ローリーは、非常に効果的な方法を考えつく。カスク内側に高圧蒸気を噴霧して木の導管を広げてから、顧客の好みに応じてシェリーやその他のワインで木で浸すというものだ。ローリー発案のシェリーワインで浸したカスクは、長くにわたって大きな需要があり、他の企業も模倣するようになっていった。
第二次大戦後、スコッチの貯蔵に広く使われたカスクはバーボンバレルだ。時を同じくして、ウォッカやホワイトラムといった、より軽めの蒸留酒を好むアメリカ人消費者の嗜好が世界的なトレンドを形成してゆく。カティサークやJ&Bとなどのスコッチブランドが先頭に立ち、軽さを売りにするスタイルのスコッチ(味気ないと不平を買うこともあった)を展開。 シェリーカスクで貯蔵したウイスキーの人気は衰えてゆくものの、 逆境は長くは続かなかった。


1950年代後半から1960年代初頭にかけてシングルモルトのリバイバルが巻き起こり、愛好家はリッチで独特のフレーバーを持つウイスキーを探し求めた。 シェリーの特徴をしっかりと刻んだカスクで貯蔵されたシングルモルトは、カルト的人気を誇るクラシック品と化し、しかも極めて高収益。実際にシェリーに使用されたカスクをどう調達するのか、ウイスキー業界は問題解消を迫られた。
1970年代後半、少数のディスティラーとスペインのクーパーやシェリー業者会社の間で、マッカラン主導によってパートナーシップが組まれる。カスク造りや、オロロソあるいはディスティラーの求める仕様に合う特注ブレンドのシェリー酒を使用して木にフレーバーを与える作業において協力関係を結ぶものだった。取り決めた一定期間(多くは最大2年間)を経て、カスクを空にし、フレーバを刻んだ木はスコットランドへと送られた。
シェリーカスクで貯蔵するシングルモルトは全体の5%程度にすぎないという概算があるにもかかわらず、こうした協力関係は近年ますます増加している。
調達には多額の費用を要し、しかも繊細な仕上がりのウイスキーの場合、シェリーのフレーバーに負けてしまうことが起こり得る。その結果、シングルモルトやブレンデッド・ウィスキーのうち、シェリーカスク貯蔵はごく少ない少量であるか、バーボンに使用された木で1、2年程度貯蔵して”仕上げ"とするか、どちらかである。
そんななか、上質のシェリーカスクで貯蔵された長期熟成ウイスキーを探し求めるファンの熱狂は冷めやらず、手にするために目をむくような金額を払うことも珍しくない。

