ザ・ヴォルツより

リースのウイスキー史

PHOTOS: MIKE WILKINSON

今月はリースのザ・ヴォルツやソサエティの他の多くの メンバールーム、そして世界中のパートナーバーで会合が予定されているので、2019年にSMWSメンバーでウイスキー史専門家のジャスティーン・ヘイゼルハーストと共におこなったリースのツアーを再訪して、同地の魅惑的なウイスキーの歴史を明らかにしていこうと思う。

私たちは自分の周囲にある物の価値を認めず、知識や見識に優れた他の人に指摘されて初めて気づくのが普通である。 サンドウィッチを買うために、あるいは家に帰るために通りを慌ただしく歩く。 でこぼこの舗装やもっとひどい状況を避けるために地面から目を離さないよう躾をされている。 立ち止まって見<上げる>時間を取ることは滅多にない。 今日は有難いことにSMWMメンバーのジャスティーン・ヘイゼルハーストが隣にいて、歩くペースを落として周囲に目を向けるようにしてくれる。 その結果、多くのことを教えられた。

安心して任せられる人だ。 ジャスティーンは元教師で、その情熱をウイスキーに向けるようになり、リースの豊かなウイスキー史を探索するウォーキングツアーを開発するに至った。 それはたいした歴史なのだ。

蒸溜酒の故郷

起点はザ・スコッチモルトウイスキー・ソサエティの心の故郷、ザ・ヴォルツそのもの以上にふさわしい場所があるだろうか。 私たちの座るメンバールームの下にある円天井のセラーは1200年以前に遡ると考えられている。 時を経て日付は分からなくなってしまったが、セラーには、干した魚と石炭の見返りにボルドーから輸入され、そこに貯蔵されたクラレットに付着して持ち込まれた、ヨーロッパの最も古いワインセラーにしか見られない希少品種の菌類が生息していることは分かっている。

上:ツアーに参加するJustineとRichard

上:The Vaultsにある1682年当時の看板

ザ・ヴォルツは何世紀も繁栄し続け、直近の1785年の4階部分の増築で現在の貯蔵能力に達した複合的な建設構造になっている。 建物は1753年、ワイン商のジェームズ・トムソンが借り受け、続いてJGトムソン社の本社となった。同社はその後スコットランド有数の独立系ウイスキーブレンダーの1つとなった。 JGトムソンは1983年までザ・ヴォルツを所有していたが、その年あのピップ・ヒルズが登場し、万が一の可能性に期待して、建物を売却する気はないかと訊ねた。 SMWSの誰にとっても嬉しいことに、答えはイエスだった。

「ザ・ヴォルツはウイスキー業界の中心にあり、リースの中では絶対的に大きな存在でした」とジャスティーンは言う。 「主な業者の多くがここを基盤とし、一時はこの一帯に保税倉庫が約90ありました。蒸溜所だけでなく、穀物店、樽製造業者、ボトリングやブレンディングの施設、それにもちろん事務所や広報部門もありました。 何もかもがここで起きたのです。

リースが港町だという事実はワインやブランデーの輸入から始まったことを意味しています。 その後、 1850年代から70年代にかけてフィロキセラ(ブドウネアブラムシ)によりフランスのブドウ園が荒廃したため、これらの倉庫はウイスキーのカスクで一杯になりました」

ジャスティンは、リースの多くの「ゴーストサイン」の一例を指摘する。

ブームと破綻

ザ・ヴォルツを出発すると、ジャスティーンはショア通りからいくつもの裏通りに入り、足を止めては、ローマの農業、ワイン、豊穣の神であるバッカスの彫刻など、興味深い特徴を指摘した。 バッカスは以前はクオリティ通りの名で知られていた、マリタイム通りのロバートソン&サンダーソン社だったオフィスを今でも見守っている。

「サンダーソンの名は、ウイリアム・サンダーソンのほうが馴染みがあるかもしれませんね。彼の作った作品の中で最も有名なのがVAT69で―商品名は、このリースでブラインドテイスティングを実施して 約100のブレンドの中で、最も人気のあったサンプル番号が69番だったことからつけられたんです」とジャスティーンは言う。

また彼女は地域に残る多くの「幽霊看板」、閉鎖されて久しい事業の色褪せた残り香の一例を見せてくれた。今回はリースに多数あるワイン、蒸溜酒、紅茶商の打ち捨てられた建物だった。

コンスティテューション通りの角を曲がるとパティソン兄弟の建てた宮殿のようなビルがある。19 世紀後半のブームを支えた実力者であり、その後何十年も続き業界に打撃を与えることになるブームの崩壊の陰にもいた兄弟の名は、永遠にウイスキー業界と関連付けられている。 彼らは確かに派手な人物だった―マーケティングの天才の手法の1つが西アフリカヨウム500羽を訓練し、国中の居酒屋に送りこむ前に、「パティソンズのウイスキーを買って!」と言えるようにしたことだ。 しかし贅沢な新社屋での生活を楽しむ時間はほどんどなかった。 建物の完成は1898年に遡るが、その年の12月までに同社は破綻していた。

オフィスは翌年実施された資産競売の一部となり、1901年までに両兄弟は詐欺罪で有罪となり収監された。

その近くにあるのはかつて8階建ての保税倉庫だった建物で、残っている文字がここがアボットチョイスのブランドの本拠地だったヒントを与えてくれている。 今は無秩序なアンティーク業が展開されているが、一歩中に入るとウイスキー史を思い出させる要素が豊富に見つかる。例えば同社の好奇心をそそる陶製の修道士のボトルは、頭をひねって、グラスに注ぐようになっている。.

上:かつて保税倉庫があった場所にあるアンティークショップでは、今もAbbot's Choiceのウイスキーボトルを見ることができる。

古い保税倉庫の側面には、Abbot's Choiceのウイスキーのブランドマークがわずかに見える。

時代を遡って

最後に立ち寄ったのは偶然にもジャスティーンの地元のパブ、ボウラーズレストだった。裏通りに隠れて存在を気づきもしない―たとえ気づいたとしても通り過ぎてしまいたくなるような―そんな類のバーだ。 だがジャスティーンは隠れたリースへ私の目を開かせてくれたように、古い港の他の居酒屋に広がる高級化とは無縁の素敵なこぢんまりとしたパブを紹介してくれたのだった。

ここはジャスティーンがウイスキーに触発され望ましい結論に到達するためにツアー参加者を連れてくるお気に入りの場所で、リースのウイスキー生産の過ぎ去った時代に戻りさまざまなブレンドの試飲をさせてくれる―今回は1960年代のVAT69のボトルに始まった。ボトリング設備がサウスクイーンフェリーに移転する1969年の前の、まだラベルにリースの名が残っている時のものだ。それから1970年代のクロフォード・スリースター・スペシャルリザーブ、1970年代後半から1980年代中盤にかけてリーズに拠点を置くロウ・ロバートソン社が輸出用にボトリングしたオールドガンズへと続いた。

「ウイスキー市場が消え去って久しく、この時代のシングルモルトはほとんどの人の予算を超えていますが、古いブレンドの試飲は今でも可能で、多くの人々にとってこの古さのウイスキーを試す、予算内でできる唯一の方法です。 このオールドガンズのようにポートエレン・ウイスキーの要素のあるボトルが残っている興味深い可能性もあります。というのは、1967年から閉鎖されるまで、ロウ・ロバートソンにライセンスが下りていたのです」

真価を味わうには、歴史を知らなければならない。 ジャスティーンのおかげで、少しばかり賢くなったし、リースの建築物だけでなく、建築を触発した液体についても気づくことが多くなった。

ジャスティーンのリース・ウォーキングツアーの詳細は、www.kaskwhisky.comで確認してほしい。

本稿は2019年8月のUnfiltered誌44号が初出であり、職位や情報はすべて初出当時のものである。

リース地区のパブ「Bowler's Rest」にて、ジャスティンとヴィンテージボトリング