業界インサイダー

マスター・オブ・ウッド

スコッチウイスキー業界で40年以上のキャリアを持つスチュアート・マクファーソンにとって、それは大変な旅であった。マッカランのマスター・オブ・ウッドの役割を終えるにあたり、Unfiltered誌編集長のリチャード・ゴスランがスチュアートから木材の世界における彼の人生をかけた仕事について詳細を訊き出した。

MAIN PHOTOS: PETER SANDGROUND

スチュアート・マクファーソンにとっては、何もかもがまったく違っていてもおかしくなかった。 そこにいたのは運動の得意な少年で、体育教師を目指して勉強を継続する予定だった。 そこへウイスキーが登場する…

彼の場合は単なる学校の夏季休暇中のアルバイトで1979年のことだった。ロバートソン・アンド・バクスターが所有する樽製作所で働き、ちょっとした小銭を稼ぐつもりだった。 しかし、たがをハンマーで叩き、オークの樽板を焦がしているうちに、何かがスチュアートの想像力を捉えた―そして教師になるという考えは間もなく見送られた。

「私はその仕事に魅了され、夏休みが終わって学校に戻った時にこう考えたのです。『本当にあと2年学業を続けて、そのあとさらに4年間を大学で過ごしたいんだろうか』と。 1980年1月にクライド樽製作所(ロバートソン・アンド・バクスター傘下)の見習い制度を開始する契約に署名しました。当時の業界は上昇気流に乗っていました」

1980年代前半のスコッチウイスキー業界があらゆる面で急速に不安定になったことを考えると、署名からさほど経たないうちにスチュアートには自分の職業選択を考え直す機会があったかもしれない。

ポートエレン、ブローラ、セント・マグダレンなどは1983年の一連の動きの中で閉鎖された蒸溜所だ。(1983年はザ・スコッチモルトウイスキー・ソサエティが膨らむ「ウイスキーの湖」をチャンスと見てリースのザ・ヴォルツの事業を設立した年でもある)。

「樽類製造業者の中でも大幅な人員削減があり、そこで見習い期間を過ごしていましたが、期間が終わったら職に就けるのか不安でした。

有難いことに仕事を続けられ、その頃、直属の樽類製造業者のいない他社からも仕事を得られるようになったので、将来的には成長できると分かってきました。 正しい決断をしたと思えたのはそれが最後ではありませんが今になって自分の43年間を振り返ると、1979年に私が得たチャンスはとても想像できないもので、それは本当に有難く思っています」

前進し上昇する

このチャンスは、2000年前半にエドリントングループの樽製作所を率いる形で、スチュアートが道具を片づけ経営に参画するようになったときに強化された。 2012年、その役割はマッカランにおけるマスター・オブ・ウッドの地位となった。彼の前任はジョージ・エスピーで引退するまでその職を務めた。

「それは私がこれまでに経験した見習いから、樽製作、経営参画、ブランド視点で知識を伝えることやウイスキーの性質、色、フレーバーに樽材がどんな影響を与え得るかの理解まですべての集大成のようなものでした」とスチュアートは言う。 「2016年までに、地元の樽供給業者やシェリー業者と協力して働く監査チームを導入し、私たちのスペックに合わせて作ってきたカスクに注意を向けてもらいました」

マッカランの要求に応じて製造し乾燥させたカスクの安定的供給を確保するために、スペインの樽製造業者との関係を築くというミッションがスチュアートの役割の中心となった。 「私が最初に変えようとしたのはカスク供給業者との関係、パートナーシップを強固にすることでした。 蒸溜酒の開発という観点から、私は常に新しいカスクを探しています―新しいカスクには価値、フレーバー、性質において非常に大きな役割がありますから。 ソレラを熟成させたシェリーのカスクを見るなら、40年以上経過したものは基本的に不活発で、蒸溜酒の熟成という観点からはたいした影響を与えないと思われます。

私たちは常に古いものよりも、アルコール度数18度程度のオロロソ・シェリーを作って乾燥させた新しいカスクを使うほうを好んでいます。 古いカスクの価値が限定されるのに対して、そうした新しいカスクからは2回か3回、上質なものを作ることができます。 長期にわたる契約保証を提供できると、一緒に働く供給業者が事前に木材を買い付け、野外で乾燥させる余裕が生まれますし、私たちが焼き入れする温度を指定することもできます」

スタイルとフレーバー

管理と一貫性の感覚は、必要なスタイルのカスクがウイスキーの熟成のために最終的にスコットランドに到着するまでの時間を考えると、とても重要なことだった。

「私たちはどんぐりや草について、そして木を倒してから乾燥のプロセスまで議論します。カスク製造と乾燥のプロセスには5、6年かかるのです」とスチュアートは言う。 「それで皆さんが見るのは、例えば12年物の製品です。 私たちは木材と言う点で何を買う必要があるのか、挑戦し、管理し、予測を立てます。 それはまさに会社がウイスキーの開発すべてにかける時間と努力と取り組みなのです」

スチュアートは自分の関心は常にヨーロピアンオークの方にあると言うが、ヨーロピアンオークとアメリカンオークの与える影響の違いを理解する努力は欠かしていない。

「大事なのは自分の求めるスタイルとフレーバーの性質です」と彼は言う。 「色が薄めで、より甘いバニラ風味のシトラススタイルを求めているならば、 [アメリカンオーク] Quercus alba向きと言えます。 辛口のスパイスやチョコレート風味のフレーバーのあるシェリーボムがお望みなら、[ヨーロピアンオーク] Quercus roburが向いています。 でもその後で、焼き入れ温度を考え、フレーバーや色を生み出すために、この木材の種類に化合物を落とし込む方法を考えることになります。

私の考えでは蒸溜酒の開発において最大の影響を与えるのは、木材の種類だけでなく焼き入れ温度です。 この2つは互いに影響しあっています。 研究開発の結果、フレーバーの性質だけでなく色にも影響を与えられるようになっています。 売っているカスクを購入するよりも、自分たちの注文通りにカスクを作るほうが利点が多いのはこういう理由です。

旅は続く

マッカランのマスター・オブ・ウッドの職から引退するので、スチュアートにはこれまでの旅の忘れ難い思い出に浸ることができる―スペインのシェリー・トライアングルの中心にあるへレスで過ごした時間に勝るものはない。

「ヘレス・デ・ラ・フロンテーラは国の中でも魔法のような場所で、ウイスキーやシェリーに関心や情熱を持つ人には是非訪ねてほしいと勧めています。 へレスのバーに腰を下ろして、ウイスキーを飲みながら、供給業者が私たちのために作ったカスクがこの素晴らしい液体を作り出したのだと考えることは実に素晴らしいことです。 この人たちがカスクの開発に多大な時間と努力を傾けてくれて、そして私たちの協働関係を通じてこの製品を生み出したのです。 それが最も報われたと言える面です。 この数年で作り出したものではありません。 それは旅だったのです」

そして引退はスチュアートの旅が終わったことを意味するわけではない。

「スコッチウイスキーの中で人生を過ごすのをやめ、関係を断つのはとても難しいことです」と彼は言う。 「率直に言って、この業界から去るとは思っていません。誰かの助けになれるなら、それは素晴らしい名誉でしょう」

それが最も報われたと言える面です。 この数年で作り出したものではありません。 それは旅だったのです」

Stuart MacPherson