ウイスキーの歴史: ザ・ヴォルツ

修道士から現代まで

ザ・ヴォルツはソサエティが発足し、今も我が家と呼ぶ場所だ。 しかしSMWSの創設者ピップ・ヒルズが記すように、ワインと蒸溜酒におけるその歴史は中世まで遡る。

ザ・ヴォルツのある土地はデ・レスタルリック卿の封土の中にあり、卿は13世紀初めにデイヴィッド王からその土地を賜った。 土地はレスタリグ教区として知られるようになり、さほど遠くない場所にその名を冠した古い教会がある。

中世のどこかの時点で建物はダルキースに近いニューバトルにあるシトー修道会の所有となった。 豊かな暮らしを好んだ修道士たちは、ボルドーやその周辺から船便でワインを輸入した。 ワインの代金は、ミッドロージアンで修道院の農奴が採掘した石炭で支払われた。 (ニューバトルの近くでは浅い炭層が多くあったので、当時の未発達な技術でも採掘は難しくなかった)。石炭は馬ぞりで運ばれ(当時のスコットランドには車輪を使った乗り物はなかった)、ザ・ヴォルツから程近い川岸に投げ出された。 (川はその地点まで航行可能だった)。その場所はコールヒル波止場の名で知られていた。今も通りの名前はコールヒルだが、今となってはその理由を知る人はほとんどいない。 ワインのカスクは転がされて丘を上がり、ザ・ヴォルツに保管された。

上:暖炉の上のスタッコパネルは1632年のもの。

上:リース港のワイン運搬船

修道会とのつながりは16世紀半ばの宗教改革まで続き、その後リース港のワイン商ギルドに所有権が移行した。 (当時すべての商取引は職人ギルドのメンバーに限定されていた)。地下のワイン商の部屋にある飾り漆喰は、たぶんその時からさほど経っていない頃のもので、確実に17世紀の作だ。 ギルドの会長が上部に帆立貝の装飾のあるアルコーブに立ち、メンバー間で船荷のオークションをしたのだろう。 (メンバーはどう考えてもあの小さな部屋に収まるくらい少数だったはずだ)。建物の1階も当時に遡る。1階の建築に使われた玄武岩は建物上部の石よりも黒ずんでいることが見てとれる。

同業者ギルドのシステムは17世紀終わりにかけて解体され、1705年、ワイン商のジョン・トムソンが建物を購入した。 トムソンの事業は栄え、1795年には彼の子孫が、その時にはJGトムソン社の名前で建物を現在のサイズに増築した。 建物のサイズを考えると、かなりの大企業だったに違いない。 内部の構造用木材は建物の幅いっぱいに渡され、断面は最大で1平米もあった。

ヴォルツと菌類、1950年代

というのも、1990年頃に開催したディナーパーティーの後、ワインをこぼした場所に菌が繁殖していることがわかったからです。

硬い松材は当時のスコットランドでは見つからなかったはずだ。 松材はリトアニアのメーメル(現・クライペダ)から帆船で運ばれた―船内に格納するには長すぎただろうことを考えると、たぶん甲板積み貨物で。 天井のタイルはオランダ製だ。 19世紀も事業は繁栄し、多種多様なワインがボトリングされた。 ボトルにはラベルがなかったが、コルクを覆う封蝋に押された印で識別された。 私は建物の中でこうした印をいくつも見つけたが、中には「フロンティニャック1864」とか「クラレット1875」のようなレジェンド級の物もあった。 その後、20世紀に起こったワイン消費の減少のため、ワイン事業は衰退した。 事業不振の一部はウイスキーが埋めたと思われる。同社が19世紀後半にウイスキーのボトリングを始めたからで、そこにはシングルモルトとして売られたグレンファークラスも含まれていた。 しかし1977年になってもまだケースでワインを輸入していた。

同社がザ・ヴォルツの地下でカスクを保管するのをやめたのがいつなのかははっきりしないが、私の推測では1920年代か30年代のようだ。 ザ・ヴォルツの円天井に広がる黒いカビはボルドーのワイン蔵から届いた樽について運ばれたものだ。 1990年頃、そのカビが生きていたのは分かっている。そこで私が開催したディナーパーティの後、ワインが零れた跡からカビが生えていたのが見つかったからだ。

JGトムソンには誰かが負傷して傷口ができたら、雑用係が一掴みのカビを取ってくるようザ・ヴォルツに送り込まれる慣習があった。カビは感染症を防ぐために傷口に塗られたという。 私はこの話に興味を持ち、1980年代後半、エディンバラ大の生物学部のいた友人のところにカビを持込み、これがどういうものか教えてほしいと頼んだ。 友人がくれた報告書には、アルコールやカスクの壁を抜けて蒸発する化合物に生息すると思われる共生的なカビと菌類の一群だと書いてあった。 カビの1つがペニシリンで、JGトムソンは純粋に経験から発見したのだが、抗生物質だった。

1983年のある朝、階段を上ったときにはJGトムソンはまだそこで事業を行っていた。 会社の事務所が2階の全体を占め、ケースに入ったボトルはその上階に、石の棚に入れたボトルは階下に保管されていた。 現在のメンバールームは、机とタイプライターと電話の並ぶ総務オフィスだった。 事業が以前の自社の名残りに過ぎなくなり別の会社に譲渡された頃には、新社主もこの建物を維持する利点を見いだせなかった。 それで私が関心があると告げ、彼らが私に売ってくれたのだった。 そのあとは、皆が言うように、歴史である。

上:1959年に前オーナーのJGトムソン社が発行した「All roads lead to The Vaults」マップ。